春風の如く

4月9日の 十四夜の満月に送らせていただいた
お葉書"満月通信"のタイトルは

『春風の如く』でした。

"春風"という言葉は、神渡良平氏が 山岡鉄舟を描いた
『春風を斬る』という小説を呼んだときより
重みのある、さわやかな言葉として
心に のこしてありました。

三月の末、娘の小学校の卒業式に出席したさい、
校長先生が「送辞」の締めくくりの言葉として
下記の言葉を伝えてくれたのでした。

  「皆さん、春の風のような人間になって下さい。
   さわやかに、暖かく 人を包み、 
   そして、堂々と真直ぐな
   春の風のような
   清々しい 人になって下さい。」と。

子供たちは、あたたかな 思いやりの中で
学ばせていただいたのだなと
感謝の気持ちで いっぱいになりました。

この思いを"満月通信"の中で
『春風の如く』という言葉と伴に、お伝えさせていただきました。

長野のI様、神奈川のKさん、大阪のSさん、宮崎のKさん ほかの皆様から

共感の お声を頂戴いたし 誠に ありがとうございました。

下記に その時に創りました 詩を掲載させて頂きます。

ご一読いただけましたら 幸に存じます。

***********************************************

< 春風の如く >

   明るく、あたたかく

    穏やかで、さわやかに

    芳薫を まとい

  堂々と 真直ぐに

  囚われも 停滞にも 縛られぬ

  一陣の 春風の如くあれ

 

* 長  詩 *

  春の 日差しを まとって   明るく

  お日様の微笑みのように   暖かく

  草花を 躍らせる風のように  穏やかで

  若葉の薫りを運ぶように   さわやかであれ

  冬枯れの冷たい木枯らしに吹かれても 堂々と

  この光のさす道を 真直ぐに、真直ぐに 吹け

  欲の中に生まれる 感情の渦に囚われ過ぎず 

  周囲の評価や 目線に 縛られるな

  正しき天の道を 流れるように

  一心に 強く 吹け

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「あいつは 口先だけだ」

『本当に、あいつは 口先だけだ』
あるリーダーへの お客さんからの評価でした。

こっそり、陰口のような小さな声でもらした言葉でしたが
驚きと伴に 耳に残っています。

学業も優秀で度胸もあり、
堂々としていて 押しが強く、弁も立ちます。

ファイタータイプで 自信が強くやる気も充実し、
あくの強いところはありますが、決して悪い人間では有りません。

打合せなどの お客さんとの交渉の席には
必ず率先して前面に出て、調整事項を処理しています。

お客様からの常日ごろの言動からも
お客さんからの信任が 厚いものと
すっかり思い込んでおりました。

強すぎる言葉や、強引な駆け引きは
本来、強者であるはずの お客様の心の中に
知らず、知らずの内に"憤懣"を募らせ
恨みを残すことになったようです。

( 所属会社の異なる チームメイトへは、
 度々愚痴るように 不満をもらしていたようです。)

『あいつは 口先だけだ』

"誠"の無い"虚"ばかりの人間と評価されることは、
人として、男として、
これほど『恥ずかしい』ことはないと思います。

極端な例ですが、
鎌倉時代の古武士の風潮を尊んだ 江戸時代の薩摩藩士たちは、
疑われることを もっとも"恥"とし、

自らの潔白を 黙って、決して言い訳することなく
"腹を切る"ことで示したそうです。

組織全体として考えた場合
恨みや、憎しみはいずれ こちらが困ったときに
巡り巡って返されることでしょう。

恨みを買った 当の本人にでは無く
他の誰かかもしれません。

困難がことが発生したとき。
ミスをして ご迷惑をお掛けしたときなど

そのお客様が 責めるか、
肝要に許すかの 選択肢を得たとき、

過去の憤怒や わだかまりが鍵となり 
仕返しのような 仕打ちに流れることも多いでしょう。

困ったときに 負の方向へ流れるのですから
大きな痛手となることでしょう。

日ごろの小さな戦いに勝利し続けていても、
天下分け目の大戦で敗れるようなもの。

結果として、
全体としては マイナスになりますね。

ともすれば、実際に 手を動かして
物や 資料を作る手間を惜しみ
口頭だけの説明で 済ませてしまいたいと思いがちです。

論理のみの 机上の議論でものごとが終了し、
大きな声で 論理整然とした議論の勝利が
どんなことでも 解決できると信じ込んでしまうものかもしれません。

自らの鏡として
忘れることがないよう 肝に銘じたいと思います。


 『誠は天の道なり これを誠にするは人の道なり』

               ( 中庸より )

| | コメント (0) | トラックバック (0)

また 人違い!!

「おはようございます」

顔見知りの方以外にも、
同じマンションの敷地内で朝出会う方に、
「おはようございます」と
一声かけるようにしています。

同じマンションにお住まいの方で、
週に三度くらいの頻度で、
朝すれ違う 60歳位の男性がおられます。

同じ同好会に入っていたことがあり
当然、顔見知りの方です。

少し刈り上げた 白髪まじりの七三分けで、
右肩から いつもカバンを下げ、
背中を丸めた猫背姿で両手を上着のポケットに入れ、
うつむき加減で 歩いておられます。

ある朝 その方と思い、背中越しに
「おはようございます」と声を掛けましたら、
なんと 人違い。別の方でした。

うりふたつの銀縁メガネで振り返った眼差しは、
『あなた 誰 ???』とキョトンとしておいででした。

私も『あ、いけない。間違った!』という思いが
顔に表れていたことでしょう。
気まずい雰囲気を残し、足早に駅にに向かいました。

そして今朝、
また同じ間違いをしてしまいました。

「おはようございます」と言って、振り返られた顔は
なんと、以前の人違いしてしまった方でした。

しかしながら、今朝は二度目ですので
"ひきつった"表情になることなく、

笑顔のままで、顔を向け通り過ぎようといたしますと、

「おはようございます」と
笑顔と伴に あいさつを返して頂けました。

その方も、人違いで"あいさつ"をしたを、ご理解のことと思います。
ですが、笑顔で ごあいさつを頂けました。

いつものように足早に駅に向かう 残りの道すがら、
何か心の中があたたかく、元気が出るような思いでした。

同じ場所に住む方々であっても、
バットを振る少年であっても、
「おはようございます」といっても 知らん顔をされる方もあります。

あいさつを返して頂きたくて、
「おはようございます」と申しているのではありませんが、

人違いでの"あいさつ"と分かっていて、
ご返事下さる優しさに ありがたさを感じました。

明日もきっと良い日です。

元気で いってらっしゃい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

満月通信 その2

2月9日は十五夜の満月です。

立春も過ぎまして、いよいよ暖かな春がそこまで
すぐそこまで 着ているような 気がいたします。

埼玉の奥、秩父・長瀞地方に"宝登山"があります。
梅の花に似た黄色い『蝋梅』の花が
一足先に 見ごろを迎えるようです。

前々回に 引き続き
過去に お出しした"満月通信"を お楽しみ下さい。

********************************************

満月通信(卯月) ②

    キーワード
          『光彩』

   6月1日は、旧暦では夏の季節に数えられる卯月十六夜の満月です。
   6月に入ると、衣替えと共に、そろそろ梅雨の到来が気になりますね。

   太陰太陽暦では、6月11日に入梅の記述が付き、
   梅雨明けを表す「半夏生」が7月1日(皐月の満月の翌日)とされております。
   五年前のことです。

   太陰太陽暦のカレンダーに記された半夏生の翌日に、
   うっとおしかった梅雨空が明け、真澄の空を見上げることが出来ました。

   千二百年間に及ぶ先人の知恵の表れと感動し、旧暦を用いるようになりました。
   光が眩しく輝く季節。いろいろな彩りを楽しんでみませんか。
         

     ☆ 梅雨明けは『小暑』を 目途とされるほうが良いようです。

*********************************************

満月通信 (皐月) ③

   キーワード
          『真心』

   6月30日は十六夜の満月。
   6月1日に続き今月二度目の満月です。
   お月様が耀く素敵な夜空を再び堪能させていただけますね。

   空梅雨のごとき快晴の空が続いておりますが、
   長き繰返しの暦の中で「あるものが有り あるべきものが無い」ということ。

   ご一考いただくと秋以降の予測も立ちやすく、
   起きうるいろいろなことも幸に転じることが出来ることと思います。

   先日、中華氣功の先生より人の心の中には
   「小さな2つの種がある」と中国の大先生に教えられたとお聴きしました。

     「妄本」と「真本」。

   エゴの種と真心の種を表すようでが、
   人間本来の「真心」の花を咲かせることによって、
   大自然の摂理に添った多くの幸せを感じ取れる自分自身であれる。
   という道(タオ)の深い教えでした。
           

| | コメント (0) | トラックバック (1)

薄いマスクは、人のため 自分のため

年末からひき続けている"風邪"が直りきらず
痰と咳の症状に悩まされています。

一週間以上も"ゴホ ゴホ"しております。
皆様は"風邪"などひいて、お困りではありませんか?

インフルエンザが広がっていると 報道されています。
お体には、十分ご自愛下さい。

仕事場の皆さんに風邪をうつしてはいけないと思い、
事務所内で、流行の『立体マスク』を付けています。

薄い紙製の、使い切りタイプを購入したため、
軽くて呼吸もしやすく、とても衛生的です。

マスクは、息苦しくて違和感があり苦手でしたが、
事務所内で"ゴホゴホ、ゴホゴホ"と、
耳さわりな音を立て、病原菌を巻き散らすのが申し訳なく
マスクをつけて業務をしておりました。

初めは 週明けの月曜日に、朝、出社前にヒゲが剃れず、
無精ヒゲを隠す為の「ボロ隠し」の理由も有りました。

一週間も"マスク"を付けておりますと、
常日頃から"マスク"を装着している方と
当然のごとく"マスク"の話題となり、
思わず「目からウロコが取れる」ような意見を聞くことができました。

その方は、人様に自分の病気を"うつさないため"ではなく
部屋のエアコンの乾燥からノドを守るためや、
別の新しい菌をうつされないため、
つまりは、自衛策として利用しているのだそうです。

『なるほど"賢い"』と、思いませんか?

そんなの常識でしたか??

一枚の薄い紙の"ヘダタリ"が、
自発的な健康への取り組みだったとは
まったく 考えてみたことも有りませんでした。

「インフルエンザ」の危険性が懸念される昨今、
わずかの出費と、少しの我慢で
寒さの残る 約一ケ月間を "無病"で乗り切れたら
春から 縁起が良いとは 思いませんか? 

心の中で生まれる病原菌。
憤りや、わだかまり。悩みや、思いわずらうことにも、
同じように、自分自身の内側から出てくるものと、
外側から進入してくることの 二種類があります。

誰かの言葉や、態度が心に刺さり、
いたく傷つくこともあるかと思います。

そんな時、心の表面に"マスク"がかけてあれば、
吸ってしまって良いものか? 
ブロックして 受け入れる必要のないものか?

しっかり考えてみる チャンスを生めるかも知れません。

自分のミスや、至らなさ。
迷惑をかけてしまったことなど
注意や、責め言葉などを受けなければならない原因が
自分自身の言動にあったのかどうか。

それとも、原因は相手の『エゴ』や 攻撃性。
誤解に基づくことなどで
自分に不備のない出来事であるのか。

叱られた、攻撃された、
驚き、ドキドキで、どうして良いかわからないけど
「ゴメンナサイ」と 誤って自分を 責め過ぎたり。

悔しさや怒りで 「クソォー!」反撃だぁ!!と、
感情を激化させたり。

原因をキチット見極められれば
感情に囚われず、習慣性に流されず、
穏やかな心根でいることが可能です。

また、自分の内からわき上がる感情に左右され過ぎ
思い込みや、自分のエゴ的発想思も、
心の上に『薄紙一枚』
見極めて発することなく収集選択のキッカケとなります。

他者を攻撃しすぎてキズ付けたり、
エゴ的感情に支配されることも少なくなって行くでしょう。

心の中に、"マスク"のような薄いフィルターが一枚あると
とっても有効に 穏やかで
気持ちの咳も楽になるかもしれませんネ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

満月通信

皆様 少し遅くなりましたが
明けまして おめでとうございます。

かなり間を措きましたが、
今年も よろしくお付き合いいただけますよう お願いいたします。

今日 一月十一日は、今年初めての 満月です。

旧暦(太陰太陽暦)では まだ、師走の満月ですが、

澄んだ冬空に浮かぶ お月様を
是非とも ご覧下さい。

平成19年5月から各月々の満月の日に向けて
毎月一枚の葉書を送ってまいりました。

満月通信と称しお届けして
今月で 22枚目を数えました。

毎月、毎月、
折り返し 返信のお手紙を下さる方や

eメールを 頂戴する方もおいでで、

「毎月楽しみにしているヨ」と お声掛け頂けるだけで

本当に 嬉しくなっちゃいます。

拙いことですが初めて 約2年がたちます。

途中 色々なことが有りましたが、
現在まで続けて受け取って頂け、
お付き合い頂き、心から 有り難く思っております。

その 満月通信の第一号を 下記に転載いたします。

2年前を振り返って頂ければ・・・

過去の 1ページを 味わって頂ければ・・・

とても嬉しく思います。

本年は、多難な年であると 思われますが

どうか、正しく、明るく、素敵な一年でありますことを

今年も よろしくお願いいたします。

  ありがとう ございます。

        月 真行

*********************************************

満月通信(弥生) ①

      キーワード
                 『風渡る』

 
5月2日は、弥生の空に浮かぶ十六夜の満月です。

春のかぐわしい美しさ運ぶ「うららかな風」を、

きっと 感じていただけるここと思います。

天気予報は晴れマーク。

ゆったりと お月見などいかがでしょうか。

らせん状に上昇を続けるエネルギーの渦が、

ひと戻りすると原点に近づくように、楽しいこと、

嬉しいこと、情熱を傾けられることなど、

心の原点を再確認して見るには

とても良い季節かと思います。

         月 鉄真

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の お気に入りは 40歳

自宅から車で 10分未満のところに
郊外型の大型リサイクル・ショップが有ります。

掘り出し物を探すため、
何度か見学に立ち寄っておりました。

8月の中ごろ、ギターを始めたいと希望された友人のために
その店で、中古のフォーク・ギターを購入しました。

ヘッドの一部分が壊れていたので
ジャンク品として安価で購入できました。

壊れているところを修理し、
きれいに洗って新しい弦を張ると、
新品同様に生まれ変わり、
オーナーの元へ旅立って行きました。

これがきっかけで、
ジャンク品のギターコーナが気になり始め、
チョコチョコ 覗くようになりました。

九月の中ごろのことです。
いつものようにブラブラと、そのコーナを覗くと
一本の薄汚れた"ガットギター"が
うったえるような、呼びかけているような気がし、
こわれて、薄汚れた姿が脳裏に残ってしまいました。

一週間たっても、その姿を何かの拍子に思い出し
"もやもや"が取れずに過しました。
翌週の日曜日、ついに我が家に迎え入れることにしました。
価格はなんと、三千円です。

壊れた糸巻きを交換し、
数十年分の埃と垢を"激落ちクン"の力をかりて落とします。
そして、木の表面に保護材を塗って磨くと
多少の傷はあるものの、
とっても立派な "ガット・ギター"が甦りました。

メーカー製造コードは 『 YAMAHA G-50 』
HPで調べてみると、なんと1966年~1967年の製造。
40年前に2年間だけ作られたギターで、
とても珍しい種類の木材が使われていることが解りました。

ちなみに当時の価格は、\5,500円のようです。

音を出せるようになるまで 一週以上も必要だったためか、
手間を掛けたために<情>が移ったのか、
どんな音を出してくれるのか
とても"ワクワク"した気持ちを与えてくれました。

新しい弦を張り音を出してみると、
不思議なことに、日に日に音が変化して、
ますます響きが良くなったこと。

そして、アルペジオという弦を一本ずつ爪弾く手法で引いた時、
先に弾いたベース音が、ギターホールの中で響き、
後から弾いた高音の弦の音ととも
一緒に鳴って入るように聞こえるのです。

今までは、スチール弦を張った『フォークギター』を愛用していたため
『ガットギター』を弾いたことが無かったのですが、

指板の広さや、弦の押さえずらさにめげず、
早くなじめるように、毎日僅かの時間でも
練習するように勤めました。

ご存知の方も多いと思いますが、
木で作られた ギターの寿命は"約100年"と言われています。

製造後、30年を過ぎたころから、音質がしまり、
そのギター本来の音を奏で始めると聞いたことが有りました。

40年前に売られていた、大衆向けの製品ですが、
きっと大切に使われ、保存されていたのでしょう
大きなキズも無く、あせた感じもありません。

四十年の時間だけが創れる
深みのある音が、とても、とても、耳を楽しませてくれます。

お蔭様で、新しい技法を覚えるために練習し、
このギターの音を生かした弾き方を模索したりと、

素敵な"キッカケ"を作ってもらったように感じています。

ボロボロで寂しそうに、隅っこに置かれていた姿が
かわいそうに思へ リペアをしたのですが、

今までに無い楽しみをあたえてくれ、
真に、頬ずりしたい気持ちです。

「温故知新」という言葉の本来の意味とは異なりますが、
新しいものには出すことの出来ない、
古いものなりの 楽しさ、
奥深さの世界があることを、
改めて 教えてもらったようです。

時が作った 特別な味わいを。

中古ショップやフリーマーケットなど、
お時間のあるときは、是非、立ち寄って見て下さい。

思わぬ掘り出し物が、光って見えたり、
なつかしかったり、子供の自分に欲しかったものなど
胸の奥を"くすぐる"ような出会があるかもしれません。

日々の暮らしに、素敵な色を加えてくれる
良いきっかけに出会えるかもしれませんヨォ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

養生は『氣』から

江戸時代の儒学者「貝原益軒」の著に『養生訓』があります。
84歳で他界される一年前にしるした著書で、
元気で長生きを実践された中でつちかった、
実学と言える"ノウハウ"本のようです。

益軒さんは、老齢になるまで
"損軒" という雅号を用いていたほど、自らを戒めた方のようです。
博多から江戸に留学していた若かりし時は、
学問の他に、岡場所通いにも熱中し、
郷里に帰るさい、馴染みの女性が益軒さんの似顔絵を絵師に描かせ、
「あなたの変わりに眺めて暮らすわ」と
涙ながらに見送ったという、艶のある逸話も残されているようです。

江戸時代に84歳という長寿をまっとうされ、
83歳の時にこれほどの文献を残されたことは
益軒さんの気力、知力、体力に驚嘆させられます。

読み進めますと、『養生』のポイントとして
"氣"に関する節が多くあることに気付きます。

学者である著者が、
元気で長寿である大切な秘訣の一つに"氣"を取り上げているのです。

近年では、"氣"を取り上げる方は、
武道家や特別なトレーニングで修練された方々ばかりです。

しかしながら長生きの秘訣として
一般の方に優しい言葉で薦めていることから、
江戸時代の常識として、"氣"に的する認識があったようにも思えます。

益軒さんの文をニ、三 拾い上げて見ましょう。

***********************************************************

「養生訓」  貝原 益軒 著 / 伊藤友信 訳 (講談社学術文庫)

 おおよそ養生の道は、内欲をこらゆるをもって本とす。
本をつとむれば、元気つよくして、外邪おかさず。
内欲をつつしまずして元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、
大病となり天命をたもたず。内欲をこらゆるに、其大なる条目は、
飲食をよき程にして過さず。脾胃(ひい)をやぶり病を発する物をくらはず。
色慾をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。
久しく睡る事をいましめ、久しく安座せず、時々身をうごかして、
気をめぐらすべし。ことに食後には、必ず数百歩、歩行すべし。
もし久しく安座し、又、食後に穏座し、ひるいね、食気いまだ
消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、
久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。

常に元気をへらす事をおしみて、言語をすくなくし、
七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)をよきほどにし、
七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひをすくなくすべし。
慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、
静かにしてさはがず、心はつねに和楽なるべし。
憂ひ苦むべからず。
これ皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。又、風寒暑湿の外邪を
ふせぎてやぶられず。此内外の数の慎は、養生の大なる条目なり。
これをよく慎しみ守るべし。
                   ( 総論 上:4 )

 素問に、怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。
恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気漏る。
驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすべ)るといへり。

百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。
故に養生の道は気を整るにあり。
調ふるは気を和らぎ、平にする也。
およそ気を養ふの道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。
気を和らげ、平(たいら)にすれば、此二のうれひなし。
                   ( 総論 下:47 )

 臍下(せいか)三寸を丹田(たんでん)と云う。
腎間の動気ここにあり。難経に、臍下腎間の動気は者人之生命也。
十二経の根本也といへり。

これ人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、
真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしずめてあらくせず、
事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、
胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。

この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。
貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみ、
いそがはしき時も、如此れすべし。もしやむ事を得ずして、
人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。

あるいは芸術をつとめ、武人の槍太刀をつかひ、
敵と戦ふにも、皆この法を主とすべし。
これ事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。

おおよそ技術を行なふ者、殊に武人は
此法をしらずんばあるべからず。又、道志の気を養いひ、
比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。
これ主静の工夫、術者の秘訣なり。
                   ( 総論 下:48 )

         

*********************************************************

 まさに 知恵の 宝庫のように 思えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

゙ケガ゙から 学んだこと

約二ヶ月ほど前、
ちょうど北京オリンピックの開会式が始った頃のことです。

朝起きると、左足甲の指の付け根の部分を中心に痛み出し、
夕方には"ハレ"がひどくなり、痛みのため
まともに歩くことが出来なくなりました。

翌朝一番に、近くの医院で診てもらうと
足の内部で強い炎症を起しており、十日間位の治療が必要と言われました。
筋肉が疲労を起し、土踏まずを維持できなくなり
骨と筋肉組織が干渉していることが原因のようです。

( 女子マラソンの 土佐礼子選手と同じケースだそうです )

急ぎの仕事を受けており、休養を取ることが出来ないため
テーピングをしてもらい、歩きやすいように パットを付けてもらって
"ピョコ ピョコ"と仕事に出かけました。

自宅から⇒最寄駅までは、
奥さんの自転車の後ろに乗せてもらい送ってもらいました。
人様の目が"たいそう"気になりましたが背に腹は替えれません。

(3日目からは 小生が 漕ぎ手に昇格です)

約十日間くらいは、歩くときに体重をかけると、
"ズキィー"っと痛みますので、ビッコを引くようなスタイルで、
一歩、一歩、よたよたとゆっくりにしか進めません。

手や腕の怪我ですとギブス等で固定して養生することが出来ますが、
足の場合、動かさないように床に就くか、
松葉杖をつき片足を浮かせる以外にカバーする手段がないようです。

しかしながら、
このケガのお蔭でいくつかの貴重な気付きを得るに至りました。

 ① バリアフリー施設の 有難さ、大切さ

 ② 当たり前のことが、当たり前に出来ない戸惑い (⇒当たり前の見直し)

 ③ 苦痛と引き換えにして、行う価値のあることと、無いことの区別

 ④ 『行』の一つの側面に、体が苦痛を訴えても意思の思いを貫く要素がある

自らの動きが不自由になりますと、
毎日なにげなく使い慣れている 道路、駅施設が、
時として大きな障壁に思えることがありました。

最近は公共施設のバリアフリー化が進んでおり、
歩道部の切下げや、駅のエスカレーター、エレベーターの存在は、
とても大きな助けになることと思います。

なんと特に有難く感じたのは、階段の『手摺』でした。

登る時は体重をあづけることができ
有効性も想像可能でしたが、
階段を下りる場合の安心感は、驚くほどの有り難さを覚えました。

駅では、急がれる方に"ドーン"と、
押されることがよく有ります。

階段を下りる最中に押されると、力の入らない足で体を支えているため
転倒の危険が有ります。
これほど 恐ろしいものはありませんでした。

このときに手摺を使うことで、
自分の歩みの助けになるばかりでなく、腕で体を支持し
危険からの回避を計る、有効な手段となります。

そして、安心感を与えてくれます。

家屋内の、狭く、急な階段であっても
手摺のお蔭で体をあずけることが可能です。

(体の不自由な方のために、
 自宅に手摺などの設備を増設する場合、
 公的補助を受けられることを 実施された方から聞いたことがあります。)

以前、朝の通勤時の駅のホームや階段で
ノロノロと 流れを止めるような方に
"イライラ"した思いを抱くことも間々ありました。

しかし自分が同じ境遇になり
同じような身にしみる辛さを味わった今、
不自由そうな方を見かけると
「大丈夫かな?」と ちょっと気遣ってみたくなりました。

『ケガ』のお蔭で得た第一の学びは、
少し優しくなれたことなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「小さな 身近な奇跡 その2」

先週の週末は、
皆様 どのようにお過ごしでしたでしょうか?

また、チョットした奇跡と思えるような出来事のあとに、
小さな 幸せがありましたので、お伝えさせて下さい。

先週末の土曜日は、6年生と4年生になる二人の娘の、
今通う小学校で 最後の運動会が予定されていました。

6年生の娘は来春に卒業です。
リレーの選手に選ばれており、
身長も奥さんと並ぶほど大きく成長し、
溌剌とした、凛々しい姿の見納めとなります。

また、4年生の娘にとっても、
全校生徒が1200人を越えるマンモス校であるため、
分割化が計られ、来年からは新しく造られる小学校への
移転が決定されています。

長女の入学から11年。
慣れ親しんだ小学校 最後の運動会となりました。

2、3日前から台風が迫っており、
前日金曜日の天気予報では、もちろん雨。

同じように、土曜日に子供さんの運動会が
予定されていた同じ職場のあるお父さんは、
予報情報をネットで調べ上げ、
「絶対、明日は雨ですよ!」と、確心をもたれ、
台風への緊急対応の為、泊り込みを志願していました。

もし、土曜日が雨で小学校の運動会が中止の場合、
振替日は、翌週の水曜日です。

振替日ですと、どうにも予定が立ちそうになく
子供達の姿を見ることが出来ません。

また、楽しみにしている他のご父兄も、
平日ですので、足を運ぶことが出来ず
とても残念に思われる方も多いことでしょう。

夏休みが終わり、二月期が始まってからの約一ヶ月間、
練習に練習を重ねた子供達の純真な努力も
台無しになるやもしれません。

そこで一つ、
天に念いを立てることにしました。

誰がなんと言おうと、
台風の予想進路図と
予想降雨量グラフを見せられても、
確信を強く持った心で、疑うことなく、
土曜日の晴れを信じ、子供達が楽しそうに汗を流し、
"ピカピカ"に輝いている姿をイメージしました。

前日、午後十時のニュースでは、
明朝九時頃に関東地方を通過する見込みと、
心もとなげに、中止の予想をかきたてます。

「お父さん、明日大丈夫かな? 運動会できるかな?」
と、心配顔でたずねる子供達に

「大丈夫だよ、明日のために、もう、おやすみ」
と、自信満々の笑顔で、答えて見せました。

翌朝、四時半ごろ目ざめると、
雨はすっかり上がっており、
風もなく穏やかな 紺色の空を見せています。

テレビのスイッチを入れ、某国営放送局に合わせると、
3時間以上前の"テロップ"が、画面の右から左へと
前日の予想を 繰り返し流しています。

公の情報は得られぬものの、
台風の影響から離れたことに 確信を持ちました。

「やった!ありがとうございます。m(--)m」
   思わず、天に感謝です。

それから六時に小学校の連絡網の電話が鳴り、
運動会開催の連絡を受ました。

お蔭様で、唯一懸念していた
グランドの状態も問題ないようです。

起き出して来た子供達に、
開催の旨を伝えると「やったぁ!」と、
嬉しそうに瞳を光らしています。

グラウンドは? とたずねると、
「うちの学校ね、水はけが良いから大丈夫だって、先生が言っていたよ」
と教えてくれました。

青空の中で行われた運動会は、とても見事なものでした。

ハダシになり、懸命に腕を振り、
足を上げ、一心に競技を続ける純真な子供達の姿は、

心の中を熱く、熱く廻るものがありました。

1200人の子供の誰もがみな、
一生懸命に、自分自身にとって最大限の努力を、
惜しみなく発揮しているかのようです。

大きな"歓喜"が、胸の中で響き渡っています。
なんども、なんども、津波のように。

翌日の日曜日は雨。
真っ黒に日焼けした戦士たちを慈しみ、
恵の雨が、休息を促しているかのようです。

週間天気予報で、お天気マークの付いていた月曜日も、
土曜日に降るはずの雨雲が帰ってきたのか、
一日中、雨が降っておりました。

偶然のことと笑われるかもしれませんが、
天に願いが通じ、小さな奇跡が起きたと思うと、

なぜだかとても胸の奥が"ワクワク"してきませんか。

徒競走で一番だったお姉ちゃんも、
5人中5位だった妹も、
同じように満足顔でしたが、

団体競技で同じ青組みが3位だったことが、
少しだけ残念そうでした。

完全燃焼した彼女たちの"カスレた声"が、
あと2、3日、
熱かった 運動会の余韻を 伝えてくれるでしょう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«「崖の上のポニョ」で びっくり!!