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養生は『氣』から

江戸時代の儒学者「貝原益軒」の著に『養生訓』があります。
84歳で他界される一年前にしるした著書で、
元気で長生きを実践された中でつちかった、
実学と言える"ノウハウ"本のようです。

益軒さんは、老齢になるまで
"損軒" という雅号を用いていたほど、自らを戒めた方のようです。
博多から江戸に留学していた若かりし時は、
学問の他に、岡場所通いにも熱中し、
郷里に帰るさい、馴染みの女性が益軒さんの似顔絵を絵師に描かせ、
「あなたの変わりに眺めて暮らすわ」と
涙ながらに見送ったという、艶のある逸話も残されているようです。

江戸時代に84歳という長寿をまっとうされ、
83歳の時にこれほどの文献を残されたことは
益軒さんの気力、知力、体力に驚嘆させられます。

読み進めますと、『養生』のポイントとして
"氣"に関する節が多くあることに気付きます。

学者である著者が、
元気で長寿である大切な秘訣の一つに"氣"を取り上げているのです。

近年では、"氣"を取り上げる方は、
武道家や特別なトレーニングで修練された方々ばかりです。

しかしながら長生きの秘訣として
一般の方に優しい言葉で薦めていることから、
江戸時代の常識として、"氣"に的する認識があったようにも思えます。

益軒さんの文をニ、三 拾い上げて見ましょう。

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「養生訓」  貝原 益軒 著 / 伊藤友信 訳 (講談社学術文庫)

 おおよそ養生の道は、内欲をこらゆるをもって本とす。
本をつとむれば、元気つよくして、外邪おかさず。
内欲をつつしまずして元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、
大病となり天命をたもたず。内欲をこらゆるに、其大なる条目は、
飲食をよき程にして過さず。脾胃(ひい)をやぶり病を発する物をくらはず。
色慾をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。
久しく睡る事をいましめ、久しく安座せず、時々身をうごかして、
気をめぐらすべし。ことに食後には、必ず数百歩、歩行すべし。
もし久しく安座し、又、食後に穏座し、ひるいね、食気いまだ
消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、
久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。

常に元気をへらす事をおしみて、言語をすくなくし、
七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)をよきほどにし、
七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひをすくなくすべし。
慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、
静かにしてさはがず、心はつねに和楽なるべし。
憂ひ苦むべからず。
これ皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。又、風寒暑湿の外邪を
ふせぎてやぶられず。此内外の数の慎は、養生の大なる条目なり。
これをよく慎しみ守るべし。
                   ( 総論 上:4 )

 素問に、怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。
恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気漏る。
驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすべ)るといへり。

百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。
故に養生の道は気を整るにあり。
調ふるは気を和らぎ、平にする也。
およそ気を養ふの道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。
気を和らげ、平(たいら)にすれば、此二のうれひなし。
                   ( 総論 下:47 )

 臍下(せいか)三寸を丹田(たんでん)と云う。
腎間の動気ここにあり。難経に、臍下腎間の動気は者人之生命也。
十二経の根本也といへり。

これ人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、
真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしずめてあらくせず、
事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、
胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。

この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。
貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみ、
いそがはしき時も、如此れすべし。もしやむ事を得ずして、
人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。

あるいは芸術をつとめ、武人の槍太刀をつかひ、
敵と戦ふにも、皆この法を主とすべし。
これ事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。

おおよそ技術を行なふ者、殊に武人は
此法をしらずんばあるべからず。又、道志の気を養いひ、
比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。
これ主静の工夫、術者の秘訣なり。
                   ( 総論 下:48 )

         

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 まさに 知恵の 宝庫のように 思えます。

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゙ケガ゙から 学んだこと

約二ヶ月ほど前、
ちょうど北京オリンピックの開会式が始った頃のことです。

朝起きると、左足甲の指の付け根の部分を中心に痛み出し、
夕方には"ハレ"がひどくなり、痛みのため
まともに歩くことが出来なくなりました。

翌朝一番に、近くの医院で診てもらうと
足の内部で強い炎症を起しており、十日間位の治療が必要と言われました。
筋肉が疲労を起し、土踏まずを維持できなくなり
骨と筋肉組織が干渉していることが原因のようです。

( 女子マラソンの 土佐礼子選手と同じケースだそうです )

急ぎの仕事を受けており、休養を取ることが出来ないため
テーピングをしてもらい、歩きやすいように パットを付けてもらって
"ピョコ ピョコ"と仕事に出かけました。

自宅から⇒最寄駅までは、
奥さんの自転車の後ろに乗せてもらい送ってもらいました。
人様の目が"たいそう"気になりましたが背に腹は替えれません。

(3日目からは 小生が 漕ぎ手に昇格です)

約十日間くらいは、歩くときに体重をかけると、
"ズキィー"っと痛みますので、ビッコを引くようなスタイルで、
一歩、一歩、よたよたとゆっくりにしか進めません。

手や腕の怪我ですとギブス等で固定して養生することが出来ますが、
足の場合、動かさないように床に就くか、
松葉杖をつき片足を浮かせる以外にカバーする手段がないようです。

しかしながら、
このケガのお蔭でいくつかの貴重な気付きを得るに至りました。

 ① バリアフリー施設の 有難さ、大切さ

 ② 当たり前のことが、当たり前に出来ない戸惑い (⇒当たり前の見直し)

 ③ 苦痛と引き換えにして、行う価値のあることと、無いことの区別

 ④ 『行』の一つの側面に、体が苦痛を訴えても意思の思いを貫く要素がある

自らの動きが不自由になりますと、
毎日なにげなく使い慣れている 道路、駅施設が、
時として大きな障壁に思えることがありました。

最近は公共施設のバリアフリー化が進んでおり、
歩道部の切下げや、駅のエスカレーター、エレベーターの存在は、
とても大きな助けになることと思います。

なんと特に有難く感じたのは、階段の『手摺』でした。

登る時は体重をあづけることができ
有効性も想像可能でしたが、
階段を下りる場合の安心感は、驚くほどの有り難さを覚えました。

駅では、急がれる方に"ドーン"と、
押されることがよく有ります。

階段を下りる最中に押されると、力の入らない足で体を支えているため
転倒の危険が有ります。
これほど 恐ろしいものはありませんでした。

このときに手摺を使うことで、
自分の歩みの助けになるばかりでなく、腕で体を支持し
危険からの回避を計る、有効な手段となります。

そして、安心感を与えてくれます。

家屋内の、狭く、急な階段であっても
手摺のお蔭で体をあずけることが可能です。

(体の不自由な方のために、
 自宅に手摺などの設備を増設する場合、
 公的補助を受けられることを 実施された方から聞いたことがあります。)

以前、朝の通勤時の駅のホームや階段で
ノロノロと 流れを止めるような方に
"イライラ"した思いを抱くことも間々ありました。

しかし自分が同じ境遇になり
同じような身にしみる辛さを味わった今、
不自由そうな方を見かけると
「大丈夫かな?」と ちょっと気遣ってみたくなりました。

『ケガ』のお蔭で得た第一の学びは、
少し優しくなれたことなのかもしれません。

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