『補中益気湯』 とっても いいかも!

今から二週間ほど前に、現役で診療を続けておられる
お医者さんの お話を聞く機会に恵まれました。

とても タイムリーで、有効性の高い内容でしたので
お伝えさせていただきます。

最近、話題に上ることの多い
"インフルエンザ"に関してですが
治療にこられる患者さんの数は、
実際、増加傾向にあるそうです。

"インフルエンザ"の対策と言うと
『ワクチン』の摂取が最良策と 報道されていますが、

実際のところ、『ワクチン』を打てば
<< 100% インフルエンザ"に罹らなくなる >>と言うことは無く、

ワクチンを摂取した方の 個人差が現れるるそうです。

また、きつい薬の場合
思わぬ 副作用の表れも 考慮に入れる必要があるとのでした。

そこで、そのお医者さん御自身も
実際に行っている対策を 教えて頂きました。

それは、
『補中益気湯』(ホチュウエッキトウ)という
漢方薬の服用です。

体力を上げて  "自己免疫力"を 向上し、
インフルエンザ・ウィルスに 負けないようにする。

体が元気だと、たとえ"インフルエンザ"に かかっても
症状が "軽症"で 苦しまずに済むためです。

早速、翌日に近所のドラックストアーで購入し
服用を始めました。 

 ( カネボウ製  *4日分  1,480円 )

丁度その頃は、
夏バテぎみだったのか疲労感が蓄積し、
集中力にも影響が出始める 慢性疲労の状態でした。

二週間に渡り、規定量の 1/2程度を服用ていますが
気力も戻ってきたようで、

もう少し 続けてみようと 思っております。

個人的なことですが、
普段、飲み薬等は 摂取しておりませんので
反応が 早く現れるようです。 
    (今年 初めての 飲み薬です)

疲れ気味かな?
インフルエンザが 怖いなぁ~!と、

思われる方は
是非、ご検討下さい。

<追 伸>

 同じ職場で働く 風邪気味の方に
 上記のこととを伝えましたら
 病院から出されて『補中益気湯』を飲んでいました。

 良いお医者さんは 同じような処方をするようです。

 また、病院で処方してもらうと
 保険も利きますネ!

以下に、インターネット検索から
まとめたものを 転載いたします。

******************************************************

補中益気湯 (ホチュウエッキトウ)

【概 説】

 ① 胃腸の働きをよくして体力を回復をさせ、元気をとりもどすのを助けます。
   体の疲れ、食欲不振、胃弱、夏やせ、
   こじれて長びくカゼ、痔、あるいは病中・病後、手術後などで
   力が弱っているときに用います。
 

 ② 胃が弱く、気力がわかない、倦怠感、元気がないのに熱っぽくて
   汗が出るといった症状に効果・効き目を発揮する代表的な漢方薬です。
   また月経過多、脱肛、子宮脱、胃下垂など内臓の下垂、慢性の下痢、
   目の代謝機能低下による白内障などにも用いられる漢方薬です。

 ③ 胃腸の働きをよくして体力を回復をさせ、元気をとりもどすのを助けます。
   体の疲れ、食欲不振、胃弱、夏やせ、こじれて長びくカゼ、痔、
   あるいは病中・病後、手術後などで体力が弱っているときに用います。

【組 成】

  漢方薬は、自然の草や木からとった「生薬」の組み合わせでできています。
  補中益気湯の構成生薬は、体によい下記の10種類です。
  滋養強壮作用のある“人参”と“黄耆”、
  水分循環をよくする“蒼朮”、炎症をひく“柴胡”、
  血行をよくして貧血症状を改善する“当帰”、
  のどの痛みや痔を治す“升麻”、胃腸の働きをよくする“陳皮”や“生姜”などです。

  これらがいっしょに働くことで、よりよい効果を発揮します。
  病院では、煎じる必要のない乾燥エキス剤を用いるのが一般的です。

【特 徴】
  病院でもよく使われる代表的な漢方薬の一つです。
  補中益気湯の“中”は胃腸を意味し、「補中」とは中を補う、
  すなわち胃腸を丈夫にするという意味があります。

  また、「益気」は気を益す、元気をだすということです。
  金時代の「弁惑論」という古典書で紹介されている処方です。
  適応証(体質)は、虚証(虚弱)、気虚(心身疲労)となります。

【注 意】
 
 * 診察で
    持病のある人は医師に伝えておきましょう。
    市販薬も含め服用中の薬を医師に教えてください。

 * 飲み合わせ・食べ合わせ
    芍薬甘草湯など甘草を含む他の漢方薬といっしょに飲むときは、「
    偽アルドステロン症」の副作用に注意が必要です。

 * 飲み合わせに注意
    甘草含有製剤、グリチルリチン(グリチロン等)など。

【使用にあたり】

  ふつう、漢方薬は食前もしくは食間(空腹時)に飲みます。
  顆粒は、お湯で溶かしてから、ゆったりした気分で飲むとよいでしょう。
  むかつくときは、水で飲んでもかまいません。

  もし、食欲がなくなったり、吐き気を催すようでしたら、
  食後でもよいと思います。

  効果のないときは、医師と相談してみてください。
  証の再判定が必要かもしれません。

【効 能】

 ・ツムラ
  消化機能が衰え、四肢倦怠感著しい虚弱体質者の次の諸症。
  夏やせ、病後の体力増強、結核症、食欲不振、胃下垂、感冒、
  痔、脱肛、子宮下垂、陰萎、半身不随、多汗症。

 ・カネボウ・他
  元気がなく胃腸のはたらきが衰えて疲れやすいものの次の諸症。
  虚弱体質、疲労けん怠、病後の衰弱、食欲不振、ねあせ。

 ・コタロー
  胃腸機能減退し、疲労けん怠感があるもの、
  あるいは頭痛、悪寒、盗汗、弛緩性出血などを伴うもの。
  結核性疾患および病後の体力増強、胃弱、貧血症、夏やせ、
  虚弱体質、低血圧、腺病質、痔疾、脱肛。

【重い副作用】
   ..めったにないですが、初期症状等に念のため注意ください

  偽アルドステロン症..だるい、血圧上昇、むくみ、体重増加、
  手足のしびれ・痛み、筋肉のぴくつき・ふるえ、力が入らない、低カリウム血症。 
  間質性肺炎..から咳、息苦しさ、少し動くと息切れ、発熱。
  肝臓の重い症状..だるい、食欲不振、吐き気、発熱、発疹、
  かゆみ、皮膚や白目が黄色くなる、尿が褐色。

【その他】
  胃の不快感、食欲不振、軽い吐き気、下痢
  発疹、発赤、かゆみ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地震予測

皆様 御無沙汰致しております。

8月に入り 関東地方及び 東海地方に
大きな地震が 2度ほど起きていますが、

8月11日の 地震を予測していた研究会の HPを
見つけました。

大学の研究者の方々が
科学的根拠に基づいた "予測"を 立てられているようです。

8月末~ 9月末にかけて 首都圏にて発生する
地震の予測も発表しています。

一度 御参照 いただければと思い
下記に ご紹介させていただきます。

*********************************************************

特定非営利活動法人 大気イオン地震予測研究会e-PISCO

http://www.e-pisco.jp/

理事長 弘原海 清
 (大阪市立大学 名誉教授)

副理事長 矢田 直之
 (神奈川工科大学工学部機械工学科 准教授)

理事 新井 典夫
 (社団法人長野県建築士事務所協会会長、有限会社A&A構造研究所 代表取締役) 

監事 能美 洋介
  (岡山理科大学総合情報学部生物地球システム学科 准教授)

事業内容
(1)高精度で小型軽量オンライン操作型の大気イオン濃度測定器の研究開発事業

(2)大気イオン濃度の広域測定地点の選定・設置・運用などの事業

(3)多地点測定データのマルチオンライン収集・処理・配信などの事業

(4)活動成果の普及・啓発の事業

2009/08/11
駿河湾の地震(M6.5)の前兆と思われる現象について

【検討結果】
8月11日05時07分 駿河湾の地震(M6.5)の前兆
 
 静岡・沼津測定点は今回の地震の震央から
 51km離れたところに位置しています。
  沼津測定点では、8日09時頃から18時頃まで、
  9日09時頃から16時頃までの2度にわたって、
  測定可能限界を超える大気イオン濃度異常を記録しました。
  これらの異常値は、今回の駿河湾の地震の前兆と
 判断しています。

 また、この両日、神奈川・厚木測定点(震央距離:109km)や
 千葉・南房総測定点(震央距離:134km)でも異常値が
 記録されていますが、以前より予測している
 首都圏における大地震の前兆との分離が困難です
  (ただし、厚木測定点は8日朝以降停止)。

 弊会では日頃から積極的な地震予測に取り組んでおりますが、
  大気イオン濃度異常の発生から地震発生までの
 期間が短かったことや、5月末以降発表している
 首都圏での大地震予測に絡む前兆現象との
 区別が困難で、前兆現象は捉えていたものの、
  結果的に予測することができなかったことを 
 心苦しく思います。

 気象庁の東海地震判定会も
 「東海地震に直結せず」との判断を下したように、
  弊会の大気イオン濃度変化からも、
  近い将来、駿河湾で大規模な地震が
 発生する兆候はありません。

8月9日19時55分 東海道南方沖の地震(M6.8)の前兆なし

 9日19時55分、東海道南方沖の深さ333kmで
 M6.8の地震が発生し、東北地方から関東地方にかけて
 震度4を記録しました。
  深発地震特有の異常震域がみられた地震ですが、
  沈み込む太平洋プレート内部の深部で、海洋における
 発生であったため、大きな規模であっても
 大気イオンが出にくい地震であったと考えられます。
  よって、この地震の前兆としての大気イオンは
 発生しなかったと判断しています。

 また、発震機構の違いなどから、この地震が東海地震など
  他の地震活動に与える影響はないものと考えられます。

首都圏におけるM7~8規模の地震予測に変更なし

 弊会では5月末以降の南房総、厚木、沼津の各測定点での
  大気イオン濃度異常をもとに、8月末~9月末の間に、
  首都圏南部(房総半島~丹沢山地・相模湾)でM7~8程度の
 地震が発生すると予測しています。
 今回の駿河湾の地震とは震源域が異なるうえ、
 前兆現象も明確に分離できたことから、
 今回の地震発生にともなう、
 首都圏での地震予測に変更はありません。

 よって、首都圏にお住まいの国民の皆様には、
 引き続き、地震への備えを怠らないようお願い致します。
 また、大地震の前には動植物や電気機器等に
 異常現象(宏観異常)が発生すると言われています。
 当該地域の皆様には、弊会ホームページから
 宏観異常をご報告くださいますようお願い申し上げます。

 なお、これまでの予測発表の経過ならびに 
 今後の追加情報につきましては、
 弊会ホームページをご参照ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春風の如く

4月9日の 十四夜の満月に送らせていただいた
お葉書"満月通信"のタイトルは

『春風の如く』でした。

"春風"という言葉は、神渡良平氏が 山岡鉄舟を描いた
『春風を斬る』という小説を呼んだときより
重みのある、さわやかな言葉として
心に のこしてありました。

三月の末、娘の小学校の卒業式に出席したさい、
校長先生が「送辞」の締めくくりの言葉として
下記の言葉を伝えてくれたのでした。

  「皆さん、春の風のような人間になって下さい。
   さわやかに、暖かく 人を包み、 
   そして、堂々と真直ぐな
   春の風のような
   清々しい 人になって下さい。」と。

子供たちは、あたたかな 思いやりの中で
学ばせていただいたのだなと
感謝の気持ちで いっぱいになりました。

この思いを"満月通信"の中で
『春風の如く』という言葉と伴に、お伝えさせていただきました。

長野のI様、神奈川のKさん、大阪のSさん、宮崎のKさん ほかの皆様から

共感の お声を頂戴いたし 誠に ありがとうございました。

下記に その時に創りました 詩を掲載させて頂きます。

ご一読いただけましたら 幸に存じます。

***********************************************

< 春風の如く >

   明るく、あたたかく

    穏やかで、さわやかに

    芳薫を まとい

  堂々と 真直ぐに

  囚われも 停滞にも 縛られぬ

  一陣の 春風の如くあれ

 

* 長  詩 *

  春の 日差しを まとって   明るく

  お日様の微笑みのように   暖かく

  草花を 躍らせる風のように  穏やかで

  若葉の薫りを運ぶように   さわやかであれ

  冬枯れの冷たい木枯らしに吹かれても 堂々と

  この光のさす道を 真直ぐに、真直ぐに 吹け

  欲の中に生まれる 感情の渦に囚われ過ぎず 

  周囲の評価や 目線に 縛られるな

  正しき天の道を 流れるように

  一心に 強く 吹け

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「あいつは 口先だけだ」

『本当に、あいつは 口先だけだ』
あるリーダーへの お客さんからの評価でした。

こっそり、陰口のような小さな声でもらした言葉でしたが
驚きと伴に 耳に残っています。

学業も優秀で度胸もあり、
堂々としていて 押しが強く、弁も立ちます。

ファイタータイプで 自信が強くやる気も充実し、
あくの強いところはありますが、決して悪い人間では有りません。

打合せなどの お客さんとの交渉の席には
必ず率先して前面に出て、調整事項を処理しています。

お客様からの常日ごろの言動からも
お客さんからの信任が 厚いものと
すっかり思い込んでおりました。

強すぎる言葉や、強引な駆け引きは
本来、強者であるはずの お客様の心の中に
知らず、知らずの内に"憤懣"を募らせ
恨みを残すことになったようです。

( 所属会社の異なる チームメイトへは、
 度々愚痴るように 不満をもらしていたようです。)

『あいつは 口先だけだ』

"誠"の無い"虚"ばかりの人間と評価されることは、
人として、男として、
これほど『恥ずかしい』ことはないと思います。

極端な例ですが、
鎌倉時代の古武士の風潮を尊んだ 江戸時代の薩摩藩士たちは、
疑われることを もっとも"恥"とし、

自らの潔白を 黙って、決して言い訳することなく
"腹を切る"ことで示したそうです。

組織全体として考えた場合
恨みや、憎しみはいずれ こちらが困ったときに
巡り巡って返されることでしょう。

恨みを買った 当の本人にでは無く
他の誰かかもしれません。

困難がことが発生したとき。
ミスをして ご迷惑をお掛けしたときなど

そのお客様が 責めるか、
肝要に許すかの 選択肢を得たとき、

過去の憤怒や わだかまりが鍵となり 
仕返しのような 仕打ちに流れることも多いでしょう。

困ったときに 負の方向へ流れるのですから
大きな痛手となることでしょう。

日ごろの小さな戦いに勝利し続けていても、
天下分け目の大戦で敗れるようなもの。

結果として、
全体としては マイナスになりますね。

ともすれば、実際に 手を動かして
物や 資料を作る手間を惜しみ
口頭だけの説明で 済ませてしまいたいと思いがちです。

論理のみの 机上の議論でものごとが終了し、
大きな声で 論理整然とした議論の勝利が
どんなことでも 解決できると信じ込んでしまうものかもしれません。

自らの鏡として
忘れることがないよう 肝に銘じたいと思います。


 『誠は天の道なり これを誠にするは人の道なり』

               ( 中庸より )

| | コメント (0) | トラックバック (0)

また 人違い!!

「おはようございます」

顔見知りの方以外にも、
同じマンションの敷地内で朝出会う方に、
「おはようございます」と
一声かけるようにしています。

同じマンションにお住まいの方で、
週に三度くらいの頻度で、
朝すれ違う 60歳位の男性がおられます。

同じ同好会に入っていたことがあり
当然、顔見知りの方です。

少し刈り上げた 白髪まじりの七三分けで、
右肩から いつもカバンを下げ、
背中を丸めた猫背姿で両手を上着のポケットに入れ、
うつむき加減で 歩いておられます。

ある朝 その方と思い、背中越しに
「おはようございます」と声を掛けましたら、
なんと 人違い。別の方でした。

うりふたつの銀縁メガネで振り返った眼差しは、
『あなた 誰 ???』とキョトンとしておいででした。

私も『あ、いけない。間違った!』という思いが
顔に表れていたことでしょう。
気まずい雰囲気を残し、足早に駅にに向かいました。

そして今朝、
また同じ間違いをしてしまいました。

「おはようございます」と言って、振り返られた顔は
なんと、以前の人違いしてしまった方でした。

しかしながら、今朝は二度目ですので
"ひきつった"表情になることなく、

笑顔のままで、顔を向け通り過ぎようといたしますと、

「おはようございます」と
笑顔と伴に あいさつを返して頂けました。

その方も、人違いで"あいさつ"をしたを、ご理解のことと思います。
ですが、笑顔で ごあいさつを頂けました。

いつものように足早に駅に向かう 残りの道すがら、
何か心の中があたたかく、元気が出るような思いでした。

同じ場所に住む方々であっても、
バットを振る少年であっても、
「おはようございます」といっても 知らん顔をされる方もあります。

あいさつを返して頂きたくて、
「おはようございます」と申しているのではありませんが、

人違いでの"あいさつ"と分かっていて、
ご返事下さる優しさに ありがたさを感じました。

明日もきっと良い日です。

元気で いってらっしゃい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

満月通信 その2

2月9日は十五夜の満月です。

立春も過ぎまして、いよいよ暖かな春がそこまで
すぐそこまで 着ているような 気がいたします。

埼玉の奥、秩父・長瀞地方に"宝登山"があります。
梅の花に似た黄色い『蝋梅』の花が
一足先に 見ごろを迎えるようです。

前々回に 引き続き
過去に お出しした"満月通信"を お楽しみ下さい。

********************************************

満月通信(卯月) ②

    キーワード
          『光彩』

   6月1日は、旧暦では夏の季節に数えられる卯月十六夜の満月です。
   6月に入ると、衣替えと共に、そろそろ梅雨の到来が気になりますね。

   太陰太陽暦では、6月11日に入梅の記述が付き、
   梅雨明けを表す「半夏生」が7月1日(皐月の満月の翌日)とされております。
   五年前のことです。

   太陰太陽暦のカレンダーに記された半夏生の翌日に、
   うっとおしかった梅雨空が明け、真澄の空を見上げることが出来ました。

   千二百年間に及ぶ先人の知恵の表れと感動し、旧暦を用いるようになりました。
   光が眩しく輝く季節。いろいろな彩りを楽しんでみませんか。
         

     ☆ 梅雨明けは『小暑』を 目途とされるほうが良いようです。

*********************************************

満月通信 (皐月) ③

   キーワード
          『真心』

   6月30日は十六夜の満月。
   6月1日に続き今月二度目の満月です。
   お月様が耀く素敵な夜空を再び堪能させていただけますね。

   空梅雨のごとき快晴の空が続いておりますが、
   長き繰返しの暦の中で「あるものが有り あるべきものが無い」ということ。

   ご一考いただくと秋以降の予測も立ちやすく、
   起きうるいろいろなことも幸に転じることが出来ることと思います。

   先日、中華氣功の先生より人の心の中には
   「小さな2つの種がある」と中国の大先生に教えられたとお聴きしました。

     「妄本」と「真本」。

   エゴの種と真心の種を表すようでが、
   人間本来の「真心」の花を咲かせることによって、
   大自然の摂理に添った多くの幸せを感じ取れる自分自身であれる。
   という道(タオ)の深い教えでした。
           

| | コメント (0) | トラックバック (1)

薄いマスクは、人のため 自分のため

年末からひき続けている"風邪"が直りきらず
痰と咳の症状に悩まされています。

一週間以上も"ゴホ ゴホ"しております。
皆様は"風邪"などひいて、お困りではありませんか?

インフルエンザが広がっていると 報道されています。
お体には、十分ご自愛下さい。

仕事場の皆さんに風邪をうつしてはいけないと思い、
事務所内で、流行の『立体マスク』を付けています。

薄い紙製の、使い切りタイプを購入したため、
軽くて呼吸もしやすく、とても衛生的です。

マスクは、息苦しくて違和感があり苦手でしたが、
事務所内で"ゴホゴホ、ゴホゴホ"と、
耳さわりな音を立て、病原菌を巻き散らすのが申し訳なく
マスクをつけて業務をしておりました。

初めは 週明けの月曜日に、朝、出社前にヒゲが剃れず、
無精ヒゲを隠す為の「ボロ隠し」の理由も有りました。

一週間も"マスク"を付けておりますと、
常日頃から"マスク"を装着している方と
当然のごとく"マスク"の話題となり、
思わず「目からウロコが取れる」ような意見を聞くことができました。

その方は、人様に自分の病気を"うつさないため"ではなく
部屋のエアコンの乾燥からノドを守るためや、
別の新しい菌をうつされないため、
つまりは、自衛策として利用しているのだそうです。

『なるほど"賢い"』と、思いませんか?

そんなの常識でしたか??

一枚の薄い紙の"ヘダタリ"が、
自発的な健康への取り組みだったとは
まったく 考えてみたことも有りませんでした。

「インフルエンザ」の危険性が懸念される昨今、
わずかの出費と、少しの我慢で
寒さの残る 約一ケ月間を "無病"で乗り切れたら
春から 縁起が良いとは 思いませんか? 

心の中で生まれる病原菌。
憤りや、わだかまり。悩みや、思いわずらうことにも、
同じように、自分自身の内側から出てくるものと、
外側から進入してくることの 二種類があります。

誰かの言葉や、態度が心に刺さり、
いたく傷つくこともあるかと思います。

そんな時、心の表面に"マスク"がかけてあれば、
吸ってしまって良いものか? 
ブロックして 受け入れる必要のないものか?

しっかり考えてみる チャンスを生めるかも知れません。

自分のミスや、至らなさ。
迷惑をかけてしまったことなど
注意や、責め言葉などを受けなければならない原因が
自分自身の言動にあったのかどうか。

それとも、原因は相手の『エゴ』や 攻撃性。
誤解に基づくことなどで
自分に不備のない出来事であるのか。

叱られた、攻撃された、
驚き、ドキドキで、どうして良いかわからないけど
「ゴメンナサイ」と 誤って自分を 責め過ぎたり。

悔しさや怒りで 「クソォー!」反撃だぁ!!と、
感情を激化させたり。

原因をキチット見極められれば
感情に囚われず、習慣性に流されず、
穏やかな心根でいることが可能です。

また、自分の内からわき上がる感情に左右され過ぎ
思い込みや、自分のエゴ的発想思も、
心の上に『薄紙一枚』
見極めて発することなく収集選択のキッカケとなります。

他者を攻撃しすぎてキズ付けたり、
エゴ的感情に支配されることも少なくなって行くでしょう。

心の中に、"マスク"のような薄いフィルターが一枚あると
とっても有効に 穏やかで
気持ちの咳も楽になるかもしれませんネ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

満月通信

皆様 少し遅くなりましたが
明けまして おめでとうございます。

かなり間を措きましたが、
今年も よろしくお付き合いいただけますよう お願いいたします。

今日 一月十一日は、今年初めての 満月です。

旧暦(太陰太陽暦)では まだ、師走の満月ですが、

澄んだ冬空に浮かぶ お月様を
是非とも ご覧下さい。

平成19年5月から各月々の満月の日に向けて
毎月一枚の葉書を送ってまいりました。

満月通信と称しお届けして
今月で 22枚目を数えました。

毎月、毎月、
折り返し 返信のお手紙を下さる方や

eメールを 頂戴する方もおいでで、

「毎月楽しみにしているヨ」と お声掛け頂けるだけで

本当に 嬉しくなっちゃいます。

拙いことですが初めて 約2年がたちます。

途中 色々なことが有りましたが、
現在まで続けて受け取って頂け、
お付き合い頂き、心から 有り難く思っております。

その 満月通信の第一号を 下記に転載いたします。

2年前を振り返って頂ければ・・・

過去の 1ページを 味わって頂ければ・・・

とても嬉しく思います。

本年は、多難な年であると 思われますが

どうか、正しく、明るく、素敵な一年でありますことを

今年も よろしくお願いいたします。

  ありがとう ございます。

        月 真行

*********************************************

満月通信(弥生) ①

      キーワード
                 『風渡る』

 
5月2日は、弥生の空に浮かぶ十六夜の満月です。

春のかぐわしい美しさ運ぶ「うららかな風」を、

きっと 感じていただけるここと思います。

天気予報は晴れマーク。

ゆったりと お月見などいかがでしょうか。

らせん状に上昇を続けるエネルギーの渦が、

ひと戻りすると原点に近づくように、楽しいこと、

嬉しいこと、情熱を傾けられることなど、

心の原点を再確認して見るには

とても良い季節かと思います。

         月 鉄真

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の お気に入りは 40歳

自宅から車で 10分未満のところに
郊外型の大型リサイクル・ショップが有ります。

掘り出し物を探すため、
何度か見学に立ち寄っておりました。

8月の中ごろ、ギターを始めたいと希望された友人のために
その店で、中古のフォーク・ギターを購入しました。

ヘッドの一部分が壊れていたので
ジャンク品として安価で購入できました。

壊れているところを修理し、
きれいに洗って新しい弦を張ると、
新品同様に生まれ変わり、
オーナーの元へ旅立って行きました。

これがきっかけで、
ジャンク品のギターコーナが気になり始め、
チョコチョコ 覗くようになりました。

九月の中ごろのことです。
いつものようにブラブラと、そのコーナを覗くと
一本の薄汚れた"ガットギター"が
うったえるような、呼びかけているような気がし、
こわれて、薄汚れた姿が脳裏に残ってしまいました。

一週間たっても、その姿を何かの拍子に思い出し
"もやもや"が取れずに過しました。
翌週の日曜日、ついに我が家に迎え入れることにしました。
価格はなんと、三千円です。

壊れた糸巻きを交換し、
数十年分の埃と垢を"激落ちクン"の力をかりて落とします。
そして、木の表面に保護材を塗って磨くと
多少の傷はあるものの、
とっても立派な "ガット・ギター"が甦りました。

メーカー製造コードは 『 YAMAHA G-50 』
HPで調べてみると、なんと1966年~1967年の製造。
40年前に2年間だけ作られたギターで、
とても珍しい種類の木材が使われていることが解りました。

ちなみに当時の価格は、\5,500円のようです。

音を出せるようになるまで 一週以上も必要だったためか、
手間を掛けたために<情>が移ったのか、
どんな音を出してくれるのか
とても"ワクワク"した気持ちを与えてくれました。

新しい弦を張り音を出してみると、
不思議なことに、日に日に音が変化して、
ますます響きが良くなったこと。

そして、アルペジオという弦を一本ずつ爪弾く手法で引いた時、
先に弾いたベース音が、ギターホールの中で響き、
後から弾いた高音の弦の音ととも
一緒に鳴って入るように聞こえるのです。

今までは、スチール弦を張った『フォークギター』を愛用していたため
『ガットギター』を弾いたことが無かったのですが、

指板の広さや、弦の押さえずらさにめげず、
早くなじめるように、毎日僅かの時間でも
練習するように勤めました。

ご存知の方も多いと思いますが、
木で作られた ギターの寿命は"約100年"と言われています。

製造後、30年を過ぎたころから、音質がしまり、
そのギター本来の音を奏で始めると聞いたことが有りました。

40年前に売られていた、大衆向けの製品ですが、
きっと大切に使われ、保存されていたのでしょう
大きなキズも無く、あせた感じもありません。

四十年の時間だけが創れる
深みのある音が、とても、とても、耳を楽しませてくれます。

お蔭様で、新しい技法を覚えるために練習し、
このギターの音を生かした弾き方を模索したりと、

素敵な"キッカケ"を作ってもらったように感じています。

ボロボロで寂しそうに、隅っこに置かれていた姿が
かわいそうに思へ リペアをしたのですが、

今までに無い楽しみをあたえてくれ、
真に、頬ずりしたい気持ちです。

「温故知新」という言葉の本来の意味とは異なりますが、
新しいものには出すことの出来ない、
古いものなりの 楽しさ、
奥深さの世界があることを、
改めて 教えてもらったようです。

時が作った 特別な味わいを。

中古ショップやフリーマーケットなど、
お時間のあるときは、是非、立ち寄って見て下さい。

思わぬ掘り出し物が、光って見えたり、
なつかしかったり、子供の自分に欲しかったものなど
胸の奥を"くすぐる"ような出会があるかもしれません。

日々の暮らしに、素敵な色を加えてくれる
良いきっかけに出会えるかもしれませんヨォ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

養生は『氣』から

江戸時代の儒学者「貝原益軒」の著に『養生訓』があります。
84歳で他界される一年前にしるした著書で、
元気で長生きを実践された中でつちかった、
実学と言える"ノウハウ"本のようです。

益軒さんは、老齢になるまで
"損軒" という雅号を用いていたほど、自らを戒めた方のようです。
博多から江戸に留学していた若かりし時は、
学問の他に、岡場所通いにも熱中し、
郷里に帰るさい、馴染みの女性が益軒さんの似顔絵を絵師に描かせ、
「あなたの変わりに眺めて暮らすわ」と
涙ながらに見送ったという、艶のある逸話も残されているようです。

江戸時代に84歳という長寿をまっとうされ、
83歳の時にこれほどの文献を残されたことは
益軒さんの気力、知力、体力に驚嘆させられます。

読み進めますと、『養生』のポイントとして
"氣"に関する節が多くあることに気付きます。

学者である著者が、
元気で長寿である大切な秘訣の一つに"氣"を取り上げているのです。

近年では、"氣"を取り上げる方は、
武道家や特別なトレーニングで修練された方々ばかりです。

しかしながら長生きの秘訣として
一般の方に優しい言葉で薦めていることから、
江戸時代の常識として、"氣"に的する認識があったようにも思えます。

益軒さんの文をニ、三 拾い上げて見ましょう。

***********************************************************

「養生訓」  貝原 益軒 著 / 伊藤友信 訳 (講談社学術文庫)

 おおよそ養生の道は、内欲をこらゆるをもって本とす。
本をつとむれば、元気つよくして、外邪おかさず。
内欲をつつしまずして元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、
大病となり天命をたもたず。内欲をこらゆるに、其大なる条目は、
飲食をよき程にして過さず。脾胃(ひい)をやぶり病を発する物をくらはず。
色慾をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。
久しく睡る事をいましめ、久しく安座せず、時々身をうごかして、
気をめぐらすべし。ことに食後には、必ず数百歩、歩行すべし。
もし久しく安座し、又、食後に穏座し、ひるいね、食気いまだ
消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、
久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。

常に元気をへらす事をおしみて、言語をすくなくし、
七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)をよきほどにし、
七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひをすくなくすべし。
慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、
静かにしてさはがず、心はつねに和楽なるべし。
憂ひ苦むべからず。
これ皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。又、風寒暑湿の外邪を
ふせぎてやぶられず。此内外の数の慎は、養生の大なる条目なり。
これをよく慎しみ守るべし。
                   ( 総論 上:4 )

 素問に、怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。
恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気漏る。
驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすべ)るといへり。

百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。
故に養生の道は気を整るにあり。
調ふるは気を和らぎ、平にする也。
およそ気を養ふの道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。
気を和らげ、平(たいら)にすれば、此二のうれひなし。
                   ( 総論 下:47 )

 臍下(せいか)三寸を丹田(たんでん)と云う。
腎間の動気ここにあり。難経に、臍下腎間の動気は者人之生命也。
十二経の根本也といへり。

これ人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、
真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしずめてあらくせず、
事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、
胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。

この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。
貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみ、
いそがはしき時も、如此れすべし。もしやむ事を得ずして、
人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。

あるいは芸術をつとめ、武人の槍太刀をつかひ、
敵と戦ふにも、皆この法を主とすべし。
これ事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。

おおよそ技術を行なふ者、殊に武人は
此法をしらずんばあるべからず。又、道志の気を養いひ、
比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。
これ主静の工夫、術者の秘訣なり。
                   ( 総論 下:48 )

         

*********************************************************

 まさに 知恵の 宝庫のように 思えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

゙ケガ゙から 学んだこと

約二ヶ月ほど前、
ちょうど北京オリンピックの開会式が始った頃のことです。

朝起きると、左足甲の指の付け根の部分を中心に痛み出し、
夕方には"ハレ"がひどくなり、痛みのため
まともに歩くことが出来なくなりました。

翌朝一番に、近くの医院で診てもらうと
足の内部で強い炎症を起しており、十日間位の治療が必要と言われました。
筋肉が疲労を起し、土踏まずを維持できなくなり
骨と筋肉組織が干渉していることが原因のようです。

( 女子マラソンの 土佐礼子選手と同じケースだそうです )

急ぎの仕事を受けており、休養を取ることが出来ないため
テーピングをしてもらい、歩きやすいように パットを付けてもらって
"ピョコ ピョコ"と仕事に出かけました。

自宅から⇒最寄駅までは、
奥さんの自転車の後ろに乗せてもらい送ってもらいました。
人様の目が"たいそう"気になりましたが背に腹は替えれません。

(3日目からは 小生が 漕ぎ手に昇格です)

約十日間くらいは、歩くときに体重をかけると、
"ズキィー"っと痛みますので、ビッコを引くようなスタイルで、
一歩、一歩、よたよたとゆっくりにしか進めません。

手や腕の怪我ですとギブス等で固定して養生することが出来ますが、
足の場合、動かさないように床に就くか、
松葉杖をつき片足を浮かせる以外にカバーする手段がないようです。

しかしながら、
このケガのお蔭でいくつかの貴重な気付きを得るに至りました。

 ① バリアフリー施設の 有難さ、大切さ

 ② 当たり前のことが、当たり前に出来ない戸惑い (⇒当たり前の見直し)

 ③ 苦痛と引き換えにして、行う価値のあることと、無いことの区別

 ④ 『行』の一つの側面に、体が苦痛を訴えても意思の思いを貫く要素がある

自らの動きが不自由になりますと、
毎日なにげなく使い慣れている 道路、駅施設が、
時として大きな障壁に思えることがありました。

最近は公共施設のバリアフリー化が進んでおり、
歩道部の切下げや、駅のエスカレーター、エレベーターの存在は、
とても大きな助けになることと思います。

なんと特に有難く感じたのは、階段の『手摺』でした。

登る時は体重をあづけることができ
有効性も想像可能でしたが、
階段を下りる場合の安心感は、驚くほどの有り難さを覚えました。

駅では、急がれる方に"ドーン"と、
押されることがよく有ります。

階段を下りる最中に押されると、力の入らない足で体を支えているため
転倒の危険が有ります。
これほど 恐ろしいものはありませんでした。

このときに手摺を使うことで、
自分の歩みの助けになるばかりでなく、腕で体を支持し
危険からの回避を計る、有効な手段となります。

そして、安心感を与えてくれます。

家屋内の、狭く、急な階段であっても
手摺のお蔭で体をあずけることが可能です。

(体の不自由な方のために、
 自宅に手摺などの設備を増設する場合、
 公的補助を受けられることを 実施された方から聞いたことがあります。)

以前、朝の通勤時の駅のホームや階段で
ノロノロと 流れを止めるような方に
"イライラ"した思いを抱くことも間々ありました。

しかし自分が同じ境遇になり
同じような身にしみる辛さを味わった今、
不自由そうな方を見かけると
「大丈夫かな?」と ちょっと気遣ってみたくなりました。

『ケガ』のお蔭で得た第一の学びは、
少し優しくなれたことなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「小さな 身近な奇跡 その2」

先週の週末は、
皆様 どのようにお過ごしでしたでしょうか?

また、チョットした奇跡と思えるような出来事のあとに、
小さな 幸せがありましたので、お伝えさせて下さい。

先週末の土曜日は、6年生と4年生になる二人の娘の、
今通う小学校で 最後の運動会が予定されていました。

6年生の娘は来春に卒業です。
リレーの選手に選ばれており、
身長も奥さんと並ぶほど大きく成長し、
溌剌とした、凛々しい姿の見納めとなります。

また、4年生の娘にとっても、
全校生徒が1200人を越えるマンモス校であるため、
分割化が計られ、来年からは新しく造られる小学校への
移転が決定されています。

長女の入学から11年。
慣れ親しんだ小学校 最後の運動会となりました。

2、3日前から台風が迫っており、
前日金曜日の天気予報では、もちろん雨。

同じように、土曜日に子供さんの運動会が
予定されていた同じ職場のあるお父さんは、
予報情報をネットで調べ上げ、
「絶対、明日は雨ですよ!」と、確心をもたれ、
台風への緊急対応の為、泊り込みを志願していました。

もし、土曜日が雨で小学校の運動会が中止の場合、
振替日は、翌週の水曜日です。

振替日ですと、どうにも予定が立ちそうになく
子供達の姿を見ることが出来ません。

また、楽しみにしている他のご父兄も、
平日ですので、足を運ぶことが出来ず
とても残念に思われる方も多いことでしょう。

夏休みが終わり、二月期が始まってからの約一ヶ月間、
練習に練習を重ねた子供達の純真な努力も
台無しになるやもしれません。

そこで一つ、
天に念いを立てることにしました。

誰がなんと言おうと、
台風の予想進路図と
予想降雨量グラフを見せられても、
確信を強く持った心で、疑うことなく、
土曜日の晴れを信じ、子供達が楽しそうに汗を流し、
"ピカピカ"に輝いている姿をイメージしました。

前日、午後十時のニュースでは、
明朝九時頃に関東地方を通過する見込みと、
心もとなげに、中止の予想をかきたてます。

「お父さん、明日大丈夫かな? 運動会できるかな?」
と、心配顔でたずねる子供達に

「大丈夫だよ、明日のために、もう、おやすみ」
と、自信満々の笑顔で、答えて見せました。

翌朝、四時半ごろ目ざめると、
雨はすっかり上がっており、
風もなく穏やかな 紺色の空を見せています。

テレビのスイッチを入れ、某国営放送局に合わせると、
3時間以上前の"テロップ"が、画面の右から左へと
前日の予想を 繰り返し流しています。

公の情報は得られぬものの、
台風の影響から離れたことに 確信を持ちました。

「やった!ありがとうございます。m(--)m」
   思わず、天に感謝です。

それから六時に小学校の連絡網の電話が鳴り、
運動会開催の連絡を受ました。

お蔭様で、唯一懸念していた
グランドの状態も問題ないようです。

起き出して来た子供達に、
開催の旨を伝えると「やったぁ!」と、
嬉しそうに瞳を光らしています。

グラウンドは? とたずねると、
「うちの学校ね、水はけが良いから大丈夫だって、先生が言っていたよ」
と教えてくれました。

青空の中で行われた運動会は、とても見事なものでした。

ハダシになり、懸命に腕を振り、
足を上げ、一心に競技を続ける純真な子供達の姿は、

心の中を熱く、熱く廻るものがありました。

1200人の子供の誰もがみな、
一生懸命に、自分自身にとって最大限の努力を、
惜しみなく発揮しているかのようです。

大きな"歓喜"が、胸の中で響き渡っています。
なんども、なんども、津波のように。

翌日の日曜日は雨。
真っ黒に日焼けした戦士たちを慈しみ、
恵の雨が、休息を促しているかのようです。

週間天気予報で、お天気マークの付いていた月曜日も、
土曜日に降るはずの雨雲が帰ってきたのか、
一日中、雨が降っておりました。

偶然のことと笑われるかもしれませんが、
天に願いが通じ、小さな奇跡が起きたと思うと、

なぜだかとても胸の奥が"ワクワク"してきませんか。

徒競走で一番だったお姉ちゃんも、
5人中5位だった妹も、
同じように満足顔でしたが、

団体競技で同じ青組みが3位だったことが、
少しだけ残念そうでした。

完全燃焼した彼女たちの"カスレた声"が、
あと2、3日、
熱かった 運動会の余韻を 伝えてくれるでしょう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

心にひびく一冊の本

"心にひびく『論語』"(中村信行 監修 永岡書店発行)を
たまたま立ち寄った書店で見かけ、
すぐさま 読み入ってしまいました。

孔子や論語についての本は、数冊目にしておりますが、
井上靖氏著『孔子』につぐ お気に入りの一冊になりそうです。

文庫本であるにもかかわらず、
本の冒頭の30ページに渡り、論語の言葉を武田双雲氏が書いた
゙書"の写真が掲載され、味わい深く、気軽に楽しめる趣が有ります。

また、本文は、
読み下し分の他に現代風に即した解説が付けられ、
とても「論語」を身近に感じられるような工夫が見受けられます。

「第一章 われを美しくする生き方」の中に、
思わず心を取られた 一つの章句がありました。

   「子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」

この中の『仁者』の解説では、

「人の道に従い、だれにでも誠意を尽くし、
 恥じることのない生き方をしているので 
 憂い(くよくよした心配ごと)をいだくことがありません。」 とありました。

   "君子とは、自分の心を省みて 
    なんらやましいことがなければ、
    何を憂え、何を恐れることがあろうか"

という孔子の答えも伴に並記されていました。

日々の暮らしの中で、いろいろな出来事が起きるたびごとに
心に汗をかきながら、
今、自分の現状のあり方は、正しいのだろうか、
思いや 行いに 間違いはないだろうかと 考えあげき

誰かの一言や、現象の一つ一つに
行く末を 不安がったりすることが常であります。

孔子のように これほどに強い信念を持ち、
誠の一念に裏付けられた他者に向けられた行動。 
これを"愛"と呼ばずして なんと言えば良いのでしょう。

常日頃し続けているか否か。
自分の『心』に 深く問い掛けられている気持ちになります。

強く、強く、振り返させられるような言葉でした。

このような短い章句が
思いと行いの双方に通ずる 一念の強さに対して
自らの至らなさを 深く感じさせられる 貴重な時間を作ってくれます。

最後に、どんな困難や不遇にあっても 
心の光を消さずに生き抜いた、孔子の心根を感じる一句をお読みください。

「吾が道は 一以て之を貫く」

     (わが人生は一つのことで貫かれている)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ある日の ほんの ささいな奇跡?

先日の帰宅時のことでした。

自宅駅で打合せを予定したため
到着前に打合せ資料を仕上げねばならず

帰りの電車内での移動時間を 作業時間に当て込んでいました。

六月に開業したばかりの地下鉄線の 始発駅から乗車しますので
いつも 確実に座ることができます。

その日に限り、運悪く直通電車が無く、
途中駅で 乗換える経路の電車に乗車しました。
約束の時間に対しては、ギリギリ・セーフの状態です。

途中の乗換え駅で降り、1分後に到着予定の電車を待っていましたが
ダイヤの乱れが起きた模様で、10分待っても乗換電車は到着しません。

約束の時間は、すでに守れそうもなく"遅刻"です。
まだ、打合せ資料も完成していません。

ホームに電車待ちのお客さんが"あふれんばかり"に増えたころ
乗換の電車が入線してきました。

電車の中も混雑しています。
そこにこのホームのお客さんが なだれ込めば
満員電車の 出来上がり。

案の定、通路の中ほどで、人の背中と背中に 押される始末。
電車の中で 座ることなど、夢の また夢のようです。

一つ目の駅を過ぎるころ、ラッキーな事に 
目の前で"つり革"につかまっていた方が降りたため
カバンをあみだなの上に乗せることが出来ました。

手ぶらになり、目の前に空間が生まれたため
立ったままで資料を仕上ることが可能になったのです。

ゆれながら書く文字は 当然ミミズの行列に見えますが、
未完成なものより内容が十分である説明資料であることが 
何倍も価値があることでしょう。

それから 2駅くらい過ぎたころ
なんと、小さな『奇跡』が起きたのです。

目の前で座っていた方が下車し、座席に座れたのです。

なんという幸運でしょう。
降車駅まで あと15分。資料を完成させることが出来ます。

ミミズの行列に消しゴムをかけ、
見た目も十分満足できるグレードに資料が仕上がりました。

電車のダイヤは戻ることなく、約束の時間には20分程遅れてしまいましたが、
適切な資料で説明でき、相手の方も納得していただけたと思います。

結果論と判断されるかもしれませんが、
ギュウギュウ詰めの満員電車の中で、
通路部の中ほどで立ってゆられていた者が
約5分後に座る事が出来たのです。

何もせず、ただボーット立っていても座れたのかもすれません。

ですが、立ちながらでも資料を書き綴っていた行為に対して
どこからか 後押ししていただいた。

授けていただいた 幸運のように思えてなりません。

棚ボタ式のラッキーよりも、努力の後の一押しが、
本当に 心から 『ありがたいな』と

感謝を生み、次回への大きな"励み"になると思います。

日常の些細な 幸せな 出来事でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

アボリジニの大画家エミリー

先日、国立新美術館にアボリジニの生んだ 天才画家

 『 エミリー・ウングワレー 』

絵画展を鑑賞に 家族と出掛けました。

美術館に 付いたとたん、
「お腹がすいたぁー」と言う ご意見でレストランに入り、

「可愛い物がいっぱいだね」と売店に釘付けになるなど、

展示ブースに入るまで 小一時間を要しましたが、
各自がそれぞりに 『エミリー』の絵を
楽しんで 帰路につけたようでした。

アボリジニとは、ヨーロッパ人がオーストラリア大陸に入るまで、
自由に暮らしていた オーストラリアの大地の民です。

その中の一人のおばあちゃんがエミリーでした。

パンフレットに記してあった説明文を転載します。

**********************************************************************

エミリー・ウングワレーについて (1910頃~1996)

オーストラリア中央の砂漠地帯で、アボリジニの伝統的な生活を送りながら、
儀礼のためのボディ・ペインティングや砂絵を描いていたが、1977年からバ
ティク(ろうけつ染)の製作をはじめ、88年にはカンヴァス画を描きはじめる。
その後亡くなるまでのわずか8年の間に3千点とも4千点ともいわれる作品を
残した90年以降はシドニー、メルボルン、ブリンスベーンで個展を開催。
没後も97年にヴェネツィア・ビエンナーレのオーストラリア代表に選ばれ、
98年にはオーストラリア国内を巡回する大回顧展が開催された。
                    (パンフレット 解説分より)

**********************************************************************

『エミリー』本人のことは何も知らず、
電車の中刷り広告で"アボリジニ"の方の絵画展の開催を知りました。

館内のボードで初めて
"鼻に穴の明いた おばぁちゃん" 『エミリー』の顔写真を見、
八十歳を過ぎから初めてキャンパスに絵を描き始めたことを 知りました。

作品は"アボリジニ"の伝統的な表現法を基においたものですが、
斬新な抽象画として欧米で高く評価され、
オーストラリア出身の女性画家で初めて、一枚の絵が一億円を上回るほどの
高名な画家になったそうです。

館内で生前のビデオを編集した、短いドキュメンタリーVTRを上映していました。
赤土の地面の上に大きなシートを広げ、楽しそうに、鼻歌を唄いながら
ペタペタと筆を落とす仕草が、とてもかわいらしく見えます。

会場内は作品の変遷に合わせて、四つの展示コーナーに分かれていました。

個人的には、色とりどりの点の集合で埋め尽くした絵が展示されていた
第一ブースが とても印象的でした。

絵の前に立って心を澄ますと、
不思議なことに歌や音楽。はたまた、自然の音が聞こえてくるように感じるのです。

青と赤とオレンジの13枚の絵からは、
お祭りか、お祝い宴のような 男性の歌声とパーカッションの饗宴が聞こえるかのようです。

長い大きな布に書かれた黄色の点の描画は、
ゆっくりと 水の流れる音が どこまでも 続くかのようです。

緑から黄に移り変わる点の描画は、
木々のこずえで叫ぶ、猿や鳥たちの命の息吹が 森の中で 木霊しているようです。

同じ絵について娘に感想を聞くと、
ピアノの独奏。
高い音と低い音のハーモニーが どこまでも続くように 美しく聞こえたそうです。

『エミリー』の絵は 上もなく、下もなく、左右もない 自由さの中で

とてもエネルギーにあふれ、
不思議で ずっと見つめてしまう 魅力的な絵の数々でした。

絵を見ることで、音が聞こえる感じを受けたのは
生まれて初めての経験でした。
とても楽しく、とても心に残る 貴重なひと時でした。

今月28日(月)まで 千代田線乃木坂駅からそのまま入れる(6番出口)
"国立新美術館"で観ることが出来ます。( 一般 1,500円 中学生以下 無料 )

絵画の好きな方に お勧めの展示会です。

心に残る 素敵な絵を 是非どうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良い『欲』と 良くない【欲】

人の苦しみのもとは "生老病死" に代表される、
四苦八苦であると仏道の教えにあります。

この四苦八苦から離れるには、
我欲をなくすことが 第一歩と伝えられているようです。

一般に『欲(よく)』とは 
イケナイこと、無くすべきものと考えられています。

カクいう小生も、つい最近までそのように思い込んでいました。

以前より、自我を無くす、
自分の欲を無くすことが肝心と、日々心がけて暮らしていました。

しかしながら、
ある日気が付くと、苦悩には囚われなくなったものの

楽しみからも、喜びからも離れ、
"生きる"という根源的な思いが薄くなり 情熱を失った。 
そんな 時がありました。

成功哲学を伝えておられる 京セラの稲盛会長の著書には

 仕事力(成功) = 情熱 * 技術力(スキル) とありました。

もし、情熱が十分の一 にしぼんでしまうと、
答えも十分の一に小さくなってしまいます。

情熱は大切な心の推進力です。

この、情熱が枯渇してしまうと、ガス欠の車と同じ様に
成功も、喜びもなしに"虚ろな"人間に変わってしまいます。

"欲"の素。根元を考えて見ると、
食べること、安全に暮らすこと、体を守ること、性的なこと。

本能の所産ともいえる、人間という生物の
種の維持を起因としているかのように 大別できないでしょうか。

命を続けるために必要で大切なことも、
必要以上の"量"を求め過ぎた場合には、

身を滅ぼすほどの
"欲"に変わってしまうように思えます。

『足る』を知るという言葉を ご存知のことと思います。

増長しすぎた欲が災害や毒となり、
求める量の多さが『良い欲、必要な欲』と

『良くない欲、害欲』に分ける"カギ"になると考えることは
無理のあることでしょうか?

グルメだ、美食だと、必要以上の"食"を求めますと、
個人的には、偏食が体のバランスをくずし、
病へと イザナイ行くことでしょう。

また、地球の裏側に暮らす人々の食を奪い、
餓死者を増やす『ゆがみ』の一因となることもあるようです。

アフリカの人達に、ヨーロッパや日本へ向けての
輸出用の嗜好品を作るよう進めたことが原因で、
現地の人たちの主食を作る畑を奪い、
飢餓を促進していることは、ご存知のことと思います。

犯罪から身を守るのが目的の"セキュリティー"管理ですが、
過剰に至れば、
今までになかった手続きや、約束事が増し、

日常的に利用する方々に大きな不便さと、
精神的抑圧をかけ、ストレスの原因となることもあるでしょう。

日本の田舎には、今もなお、自分の家に鍵をかける習慣がなく、
とれたての食べ物を、玄関先にそっと置いてくれる。

分け合って暮らすことを普通に行う、
古き良き時代のままの町や村があるそうです。

汲々としない、穏やかで、おおらかな生活にも、
人、本来の 一つの良さがあるのではないでしょうか。

「俺は世界の王様になる」などと、
大きく強すぎる"欲"を望むことは、現実には叶わないことが多いでしょう。

それゆえ、失望や、ジレンマ、憤りなどの悪い想念が心に影を作り、
自分自身で幸福感から離れてしまいます。

『足るを知る』とは、簡単な言葉ですが

一つのキーワードとして 常日ごろ心掛けることができれば

良くない『欲』から離れることができる

有意義な手段となるかもしれません

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハトオの 旅立ち

 「ハトオくん 今朝 巣立ちました。(*^-^*)ノ~~
  さすが自然界の住人だね   
  新月に卵で生まれて 満月に飛び立つとは \(~o~)/」

これは6月19日、満月の日の夕方に妻がくれた携帯メールです。

5月5日に我が家のベランダ(11階建ての4階)で産まれた、
一羽の鳩が、初めて空を羽ばたき
今日、巣立って行きました。

枯れ枝を残したプランタンの隅っこに、
白い卵が2つ知らぬ間に産み付けられていました。
 
初めて見かけた 「子供の日」から
お母さんとお父さんと思われる2羽の鳩が、
約20日間に渡り24時間体制でかわるがわる卵を温めていました。

我が家には2歳になる犬がいます。
なにかと興味津々の破壊王の如き娘もいます。

案の定、気がつくと 娘は親鳩が逃げ離れている間に
卵のあるプランタンのそばにより、
棒で卵を "ツンツン"いじくり回しています。

偉いことに親鳩は、
"ジッ"と成り行きを見守り、
逃げることなくベランダの手すりの隙間に隠れ
卵のそばで、じっと我慢してうずくまっています。

通常であれば、人間には決して近づかない鳩ですが、
卵のために 恐怖と戦っているように思えます。

二十日がすぎたころ、二つの卵のうち 1つが無事ヒナとして孵りました。

生まれたばかりのヒナは、
白い羽毛に覆われお母さん鳩の下で 逃げ隠れしています。

いつの間にか我が家では
"ハトオ"と 呼ばれるようになったヒナですが
  (注: オスかどうかは分かりません)
10日もするとスクスク大きくなり
あっという間にお母さん鳩と同じくらいの体長に育って行きました。

毎日毎日、口移しで運んでもらう餌を食べながら、
柔らかそうな フワフワな産毛を落として行きます。

小鳩に対して"興味津々"の娘は、
どうしても さわってみたいのでしょう。
ハトオを捕まえようと手を伸ばしていました。

「野生の動物って、
 すごく人間のことを恐がっていることを知っているかい?

 動物園で実際に起きたのだけれど、
 人間に抱かれて 人間のニオイがついた赤ちゃんを

 お母さんが 突然、嫌いになって寄せつけず、
 今まで大事に育てた赤ちゃんを

 まるで無視して 見殺しにしてしまうことがあったのだよ」

 人が手を出してしまうと
 台無しにしてしまうことも あるんだネ。

 可愛いと思ったら、
 そのままじっと見ててあげようネ」
 
と伝えた私の言葉に納得してくれた彼女は、
そののち窓越しに眺めたり、望遠機能を使って写真を撮ったりと
遠くから見守るように、成長を応援していたようです。

子供達にとって
命の成り立ち、生まれるということ、お母さん鳩の姿、そして

赤ちゃんが産まれて一人前になって行く過程を
間近で見る機会に恵まれ

とても素敵な、学び深い思い出になること思います。

ベランダのガラス越しに鳩の成長を見つめながら、
ふと、あることに気づかされました。

もし、鳩が可愛いと言って餌をあげたり、
手を出して助けたりすると、親鳩が離れてしまい

群れから はぐれたり、
鳩として大切な学習が出来ず 一人前の鳩になれなかったり、
自由に飛ぶことを捨ててしまったりしたら...

鳩 本来の生き方が出来なくなることもあるやもしれません。

窓ガラスのこちら側で、
あたたかな気持ちだけを送りながら、見守るだけの立場。

もし落ちて怪我でもした場合は、急いで手助けに行くでしょうが、
あくまでも 手出しせず、当人を信じ
見守ることを最良とし、"エール"だけを 送る。

もし、神様がいて、人間を見ていたのなら、
このような感じなのかもしれません。

元気に育ってくれることを信じ、
心配しながらも手を出さず  
成長してくれることを願って待っていてくれる。

窓ガラスの向こうから、
ニコニコしながら
ハラハラしながら 応援してくれているのかもしれません。

元気に 羽ばたけ!  ハトオ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父の日に

6月の第三日曜日は 父の日でした。
母の日と違い かなり地味な感じがいたしますが
プレゼントを渡す方も多いのでしょうか?
皆様の ご家庭ではいかがたしたか?

我が家の娘からも 手書きの絵や 手紙など
思い、思いのプレゼントを 貰いました。
ありがたいことです。

昨年までは、少ないお小遣いの中から
お菓子や、小物を購入し プレゼントしてくれたのですが

今年の お父さんの誕生日から
「お父さんへのプレゼントには
  お小遣いを使わないものにしてネ」とお願いしたため、 

自分の顔や、家族の似顔絵、なぜか"パンダ"の絵を 描いたものに
それぞれメッセージを添えてくれました。

『お父さん おつかれさま。わたしは いつも元気です!』

『がんばり過ぎないで よく休んでね』など

ありきたりの言葉ですが、自主的に作ってくれた"おもい"と伴に
とてもありがたく、
胸の奥から こみ上げてくるものがありました。

親になりたくても、子供を授からなければ
親にはなれません。

子供を 授かったことの ありがたさ。

人の親で いれることの ありがたさ。

いまさらながら しみじみと 感じています。

総体的に、私たちが子供の時よりも
今の子供たちは確実に やさしく、賢く、
人間としても 素敵になっているように思えます。

自分自身も 人の子供として、
彼女たちを 見習わなければと

心の あたたかくなった
一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

悩み

ニューヨーク州立病院リハビリセンターに掲げてある 患者さんの詩

   大きなことをなしとげるために

   力を与えてほしいと神に求めたのに

   謙虚さを学ぶようにと、弱さをさずかった

   偉大なことができるように健康を求めたのに

   よりよきことができるようにと病気をたまわった

   幸せになろうとして富を求めたが

   賢明であるようにと貧困を授かった

   世の人々の賞賛を得ようとして成功をもとめたのに

   得意にならないようにと失敗を授かった

   人生を楽しもうとたくさんのものを求めたのに

   むしろ人生を味わうようにとシンプルな生活を授かった

   求めたものはひとつとして与えられなかったが

   願いは全て聞き届けらけていた

   私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されていたのだ
 
      ( 神渡良平著「安岡正篤 珠玉の言葉」より引用)

***************************************************************

この詩は冒頭のタイトルがつけられ、
神渡良平氏の著書「星降るカミュ」および
「安岡正篤珠玉の言葉」の中で、紹介されていたものです。

病気で痛みを心と体に受け
苦しみを背負い、自分自身を見つめられ 
なんどもなんども、
繰り返し、繰り返し 
悩みぬかれた末に掴まれた、真理の詩のように思われてなりません。

苦悩が人を作ると言う言葉がありますが、
正にその言葉を裏付けるような 実体験の言葉であると思います。

この詩を書かれた時には、身体の痛みをこらえても、
心の痛みに負けることなく、晴れやかな思いで 全てに向われていたと想像されます。

つい先日、子供が苦悩の道に入り、
悩みのツボから出れず、
自虐的になっていたことがありました。

このことがきっかけで、ある教育者の先生から聞いた
"ある特定期の子供達"とつき合った 体験談を思い出しました。

9歳前後の「リトルギャング」と呼ばれる時に続き、
13歳、17歳それぞれの時期に、"反抗期"と呼ばれるような
不安定な 心持になる子供達が多いそうです。

いずれの時期も、肉体的な成長の変化点と重複し、
身体の変化、ホルモンバランスの変化が
大きな要因の一つと分析されていました。

この時期において 責められ過ぎたり、
思いに負担を受け過ぎて、心に傷を残した子供でない限り、
事例から判断すると 約半年くらいで
元来の明るさを取り戻す場合が多いそうです。

とにも かくにも
自虐的に自分を否定した精神状態になるケースが多く
他者の意見、特に 大人の意見は、否定的姿勢から聞くため
正直に言葉を受け入れられることは 少なかったそうです。

『大丈夫だよ』 『君は やれば出来るよ』などの
抽象的"ハゲマシ"を贈りながら 任せて、待つことが
最良の方法であったと 教えて頂きました。

思いに悩む子に、一通の 絵葉書を送りました。

「悩むことは、悪いことではないよ。
 ニゲずに、ごまかさずに、真正面から取組んで下さい」と。

思い描くことと、現実として起きることには
大きな開きがあります。

心を成長させるために、正しく"苦悩"と向き合えば、
重いバーベルを持ち上げるように、
必ずや、価値のある 良い心の『負荷』となってくれるでしょう。

重すぎてビクともしないバーベルであっても、
持ち上げようと、何度も、何度もチャレンジするうちに

腕や肩の筋肉が 日々強くなり
下半身もその重さに耐えられる準備が整うことでしょう。

今、持ち上がらなくても地道な努力が
少しずつ、少しずつ身体を成長させてくれます。

そして何より鍛えられるのは、
その試練を耐え続け、
なおも 向上心を忘れない、"心の強さ"かもしれません。 

「必要、必然、ベスト」
身に起きること全てが
自分の成長にとって必要な、゙糧"と受け止めて
生かしてほしいと 心から 願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ご ま か し

仕事の本来的な意味は、お客様の利得となることを実行すること。、
それにより報酬を得ることが 経済上の仕事ですが、
ともすれば自己の利益を優先させ、その真の意味を 忘れがちになってしまようです。

設計検討の依頼を受け、検討計算業務が 約8割方終えた所で、
打合せにて提示された設計基準値が、
現在のは不適当、不足していることが判明しました。
時間的にも迫られ、不眠で検討資料を作成し
提出し終えた後のことです。

重要な基準となる数値が"不的確"と思われないよう
作成済みの検討書で『ナントカ』適合させれるような
"名案"(迷案)がないか相談を持ちかけられたのでした。

当初に確認した条件となる事柄の不一致
未確認、思い過しが要因だったのでとても残念でした。

対策として拝聴したのは、どれも"ごまかし"を主とした発案で、
利用者となるお客様にたいして、最終的に<不利得>となることばかりです。

まさに、数年前に世間を震撼させた 『プチ・姉○偽装事件』です。

問題点は 下記の2点です
 ① 再計算をするには 時間が必要 ⇒ 予定工程が 狂う
 ② 上記には 人手が必要 = お金が掛かる

対策として、作業に必要な2日間の延伸に対する工程の調整を依頼し、
当方の責任において 再検討を行うこととなりました。
後に遺恨を残さないよために、不利益になりますが
現時点において 最大の努力を勤めることを選択しました。

子どもたちに対して日ごろから、
正直に、真正面から、正々堂々と生きなきゃだめだよ!と、
話しておりますので、
親としても"ごまかし"の道は選べません。

面倒くさいから、解らないから、
どうせたいしたことないから、など等、
自分のためだけに物事を選んでしまうと、
いつの間にか"ずる"が当たり前になってしまいます。

何が正しいのか、何が大切なのか。

人として、仕事人としての誇りも、
失うことになるやもしれません。

その時、スエーデンの教科書に載っていた
『こども』という詩を思い出しました。

子どもの頃から育てた"考え方のクセ"が、
知らず知らずに身についているかも知れないと
いま一度自分を振り返る、良い期会となりました。

************************************************************

  「こども」

             ドロシー・ロー・ホルト作
                         (スエーデンの教科書から)

   批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる。

   殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることをおぼえる。

   笑いものにされた子どもは、ものをいわずにいることをおぼえる。

   皮肉にされた子どもは、鈍い良心の持ち主となる。

   しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる。

   寛容にであったこどもは、忍耐をおぼえる。

  フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる。

   友情を知る子どもは、親切をおぼえる。

   安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる。

   可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じることをおぼえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

引越しからの気付き

皆様、

大変 ご無沙汰いたし 申し訳ございません。

以後、従来通り 週に一回以上は 更新いたす所存ですので 引き続きお付き合いいただけますよう お願いいたします。

   ありがとう ございます。

***************************************************************

ゴールデンウイークの期間を利用し、仕事用の事務所を整理し
お引越しをしたのですが、思いがけず たくさんのことに気付かされました。

スペースの関係で、スチールの事務机 *3基と
5年もののコピー機(複合機)を 手放すことにしました。

破損もなく、傷も少なく、お掃除もシッカリで
ピカピカにしましたので、見た目は 新品同様です。

しかしながら、タダでも良いから 必要とする方に 使ってもらおうと思い
中古品を扱う店や、リサイクルショップ  各所に連絡を入れましたが
引き取り手がなく、問われて年式を伝えると、
引き取りるためには、料金が必要と言われる始末でした。

「高く 売れたら おいしい物でも食べようネ」 と話していたのですが、
無駄にしないためにも、お金を払い それらを 引取ってもらう決意をしました。

まだまだ使える品です。お金が掛かっても どなたかに使ってもらえれば良いやという思いで、
再度、リサイクル業者の あたり直しをしてもらいました。

最終的には、市役所に紹介してもらった リサイクル業者のひとつが 一番格安で、
日程も希望にかなうものでしたので、約2万6千円を支払うことで
引き取って もらうことにしました。

予定日の朝、再度ぞうきん掛けをして待っておりますと、
引取りに来た車はなんと、産廃収集用のコンテナ車でした。

案の定、ついさっきまでピカピカで、第一線で働いていた 机も、コピー機も
怪力の作業者の手際良く力強い仕事ぶりの末、
傷を付けられながら、鉄の箱の中に投げ込まれ、
コピー機のトレーだったものもコピー機の下敷きになり、
バリバリ音を立て、その命を終えることとなりました。

多分、妻と二人
"ポカン"とした表情で、ただ眺めいた光景が
人様には、可笑しく見えたことでしょう。

コンテナ車を見て 初めて気が付きました。
私たちが呼んだのは、産廃業者だったのです。

全くの私どもの 認識不測。 そして勘違いでした。

リサイクル = 産廃

そのまま、
どなたかに使用して 頂けるものとばかり 思い込んでいたのですから。

スチールの机も コピー機も、収集所にて さらに粉々にされ、
プラスチック部分と 金属部分とに分類され
全く別のものに生まれ変わるために 原材料の元になるか、
処分上で 土中に埋められることと思います。

世間一般では、リサイクルが最良の方法として根付いています。

机一つの リサイクルの軌跡を追ってみても

収集運搬→プレス、仕分け→運搬→金属作成工事→加工場

数多くのプロセス。人の手を経て 新しい製品に生まれ変わることでしょう。

経済的にも成り立っている姿です。

数年前、『もったいない』という言葉が
Tシャツに プリントされ 広告塔のように
世界的に流行ったことがありました。

キチンと 清掃をし、
再塗装などの お化粧し直しをすれば、受け入れて頂ける方も 多くいると思います。

現在の経済システムには反するかもしれませんが、
再利用、リユーズが本当の姿では無いかと
深く 考えさせられました。

心から
  『もったいない!』と 感じた 出来事でした。

PS.
 某大手 中古品の 買取、販売ショップ(チェーン店)に
 事務用のイスを 100円で引取ってもらいました。

 後日、この店を覗いてみると、税込み『1260円』の 値札が付いていました。
 現実 ですネ・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人を生かす つき合い方

先日、仕事を共にするチーム内で、
人を生かす、育てることに主眼を置いた
「人付き合い」の方法だなと感心したことがありました。

技術者として仕事をさせて頂いておりますが、
トラブルが発生し問題を抱えた若い技士に対して、
熟練者である先輩のアドバイスが、とても良かったのです。

問題を解決する直接的な指示をすることなく、
その技士の面目を立てるような
遠回しのアドバイスに留め、
自力での対応を促し、成り行きを見守っていました。

その問題に対して、周囲のほとんどの者が
対応策を熟知しているだろうと推測される中で。

結果は、ギリギリの60点位の及第点というところでしょうか。
後事への支障は残ると思われますが、
ボーダーラインを超えることが出来ました。

しかしながら、この問題を自力で正面から対応した若い技士は、
発生した原因と、対応策を正面から受け、体で覚えたことで、
次に同じような事象が発生した場合には、
落ち着いて 自分の力を信じて対応できることでしょう。

また、事前に防護策をとることが可能になるかもしれません。

物造りをしている現場では、
大小のトラブルが発生することが日常茶飯事です。
発生する様々な諸問題に対して的確に判断し、行動し、
処理することが技術者としての技量の一つとなります。

“小を持って大を知る”という言葉がありますが、
多少の痛みをこらえながら 若い技士の成長を計った先輩の態度は、
とても、とても立派であったと思います。あっぱれ!

現在起きている小さな困難が、学習の好機となり
成長へのよき肥やしになるでしょう。

後輩や部下への態度として、ともすれば

「なぜこんな問題が起きたのだ!」とか

「なぜ、ちゃんと対応できないんだ!」などと

責任の所在を明確にし、
自己保存を考えたり
“ああしなさい。こうしなさい”などと
過剰な指示を出して、自らの実力を知らしめんと動く方もいるでしょう。

アドバイスを伝える立場においては、それぞれの責任と立場を考慮しながら、
伝える内容や表現方法、手段においても配慮することが、
より良くその方の為になることであると改めて思い至った事象でした。

他者や、自らの命よりも“面目”を大切にした戦国時代においても
人と人として主従を越えた本物の人と人としてのあり方の姿が歴史の中に残っています。

関が原の戦いで命を落とした豊臣方の石田光成と島左近は、
三成の禄高4万石のうちの半分である
2万石の俸禄で召し抱えられたという逸話もあり、

いざという時のための修練の末、
言葉を用いず、目くばせと、わずかな仕草だけで意思を伝え合えるほど、
主従一体であったそうです。

相互に相手方を信じ、理解しあうことがなければ出来ない芸当です。

また、越後から出羽へ国換えを受けた上杉家の直江兼続と、
天下一の歌舞伎物と言われた前田慶次郎においても
うらやましくなるような逸話が残っています。

京都にあった上杉家屋の敷内にあるの家老職である兼続の部屋に、
浪人の慶次郎は 主人の居るいないにかかわらず上がりこみ
日がな一日、横になったり、兼続の蔵書を読みふけっていたそうです。

兼続が執務中で 机に向っているときも変わらず
一言も話さず、同じように過していたそうです。
慶次郎が持参した茶器で、一人気ままに茶を立て、
勝手に一人で飲んでいた時、さすがの兼続がふみ机から振り返ったところ、
一方「飲むかね」という慶次郎の一言に黙ってうなずき、
主人である兼続が、美味しそうに茶を馳走になっていたそうです。
  (隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』参照)

一人で大事は出来ません。

かかわりながら、認めながら、生かしあいながら
たし算をかけ算にしてゆく人と人のつき合い方。

心から信頼できる存在のいる事は、
なにより心の安らぎに通じることかと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『ありがとう』だけでは 足りないときに

とても嬉しかったこと 
心の底から感謝を伝えたいときに
『ありがとう』という言葉だけは 
もの足りなさを感じたときは ありませんか?

 
先々週になりますが、火曜日より妻が発熱し、
約一年半ぶりに 数日間床に伏せっておりました。

高い熱が続く2日目の夜、
自分自身は食事が喉を通らないないにもかかわらず、
夕食に 買い置きの材料でカレーを一人で作ってくれました。

熱のだるさに ふらつきながら、私のために、子供たちのために。

母親の不調を見た小三の娘は、
食事の後、自ら進んで食器を洗ってくれました。

洗い終えた後、自室にいた お父さんのところへ
「お父さん、食器洗ったよ。つかれちゃたから寝るね」と 
おやすみを言いに来てくれました。

心根の高さと、優しさに 胸が一杯になりました。

「ありがとう。おやすみ」と声を掛けても 
この嬉しさを彼女に伝えることが出来ないことを
湧き上がる思いの中で感じました。

また翌日は、
いつも午後10時になると床につく小5の娘が、
お父さんの帰りを 午後11:30を過ぎても待っていてくれました。

家に着くと、もう限界を超えていたのでしょう
お父さんの顔を見るなり、目をこすりながら

「お父さん、お帰りなさい。もう眠いから寝るね!」と

すぐさま床に向うありさまです。
本当は何か伝えたいことがあったのでしょう。
言いたいことがあったのでしょう。

とても純真な子供たちの姿を見るたび、
親としての 真の ありがたさを かみしめる思いです。

こんなとき、
「ありがとう」の言葉だけでは足りない気がして、
『抱きしめること』『ハグ』することを取り入れたいと考え始めました。

フリーハグを実践なさっている方がおり
その方と娘たちが、とても嬉しそうにハグしてもらっているのを目にしたからです。

岡田多母さんの講演をお聞きした時も、
両手の握手と胸と胸を合わせたハグを進めておられましたが
『ハズカシサ』を越えられず、行動に移すことはありませんでした。

あらためて、肉体を持つ身であることを考えると
身体を使って思いを伝えることも、
とても素敵なことかもしれません。

高校生の娘に対して『ハグ』するには とても
“はずかしく”そして“てらい”もあり
壁が厚く 実現には、まだ時をおきそうです。

善き行いをするのに躊躇は禁物ですよネ!

決意した意思にそぐわぬよう、日々精進したいと思います。

でも けっこう テレますネ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「おはようございます」は誰に?

朝、誰彼ともなく
「おはよう ございます」と声を掛けられるますと、
ふっと、気持ちが軽くなったり、気分が明るくなることがあります。

以前、京都にある 薬師寺の元館長さんの
朝の"あいさつ"にまつわる話を 聞いたことがあります。

毎朝、散歩に出かけることが日課であった館長さんは、
通りすがりの方すべてに
『おはようございます』と、いつも声を掛けながら歩かれたそうです。

ある朝、一人の中年男性が 目をうるませて、
館長さんに、話しかけて来たそうです。

「おじいちゃん。ごめんね。
この十年以上 毎朝、毎朝、私に
『おはよう』とあいさつをしてくれているのに、

いつも、私は 知らん顔をしていた。
本当に申し訳ない。 本当に、はずかしい」
と申され、頭を下げられたそうです。

それを受けた館長さんは、
「いいえ なにも、なにも。 私はただ毎朝散歩に出まして、
出会う方皆さんに、ごあいさつしようと決めたので、
それを行っているに過ぎません。  どうか頭を上げて下さい」

この話しかけてきた男性は、館長さんのことを 社会的に地位のある方と
全く知らず、ただただ  十年以上に渡る
「おはよう ございます」という 善意に対して、
自らを見つめ返し、お礼を申されたとのことでした。

小さくとも ご自分で決められた 善意な行いを 何十年も続けられた方、

ご自分の 至らなさを見つけ、反省し、
素直に 言葉と態度で示して 謝罪なされた方。

お二方それぞれの行為に 見習うべきものがあるように思えます。

このお話を聞いてから、あいさつの重要性を知り、
きちんと『あいさつ』の出来る 自分になろうと思いました。

休日に 犬の散歩に付き合うときは、
川沿いの散歩コースですれ違う方々に 見ず知らずの方であっても
『おはよう ございます』と お声がけすることにしておております。

"にこやか"に「おはよう ございます」と返して下さる方、

うつむいたり、目線をはずしながらも ごあいさつ下さる方、

知らん顔をなさる方、「ギロッ」と見て無言で過ぎる方、

その反応はさまざまです。

「おはよう ございます』と返して頂ければ、
晴れ晴れと明るい気持ちが 沸いて来ます。

無視されたり、こばまれたりしても、
『きちんと 人様にあいさつが出来る自分でいよう!』という思いと、

自分が勝手に あいさつしているんだ。

「人それぞれ その方々の あり方があるんだ」という気構えでいれば、

嬉しさは浮かんでも、悪しき感情を起こさずにいることが出来ます。

前出の館長さんのように、
自分自身に焦点を合わせる努力を続け、
真の強さを身に付けたいと思います。

今日も元気に、笑顔で 
『おはよう ございます』と、

晴れ晴れとした思いで、一日をスタートしましょう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

落葉は風を うらまない・・・自然法爾

自然法爾という言葉が有ります。
個人的に兄とも慕う方から
先般、この言葉を教えていただく機会に恵まれました。

語源は『親鸞聖人御消息』だそうです。

ネット上で調べた解説を以下に記してます。

*************************************************************

▼意訳(日本の名著6『親鸞』/中央公論社 より)

自然法爾[ジネンホウニ]ということ。

  自然の自はおのずからということであります。
  人の側のはからいではありません。
  然とはそのようにさせるという言葉であります。

  そのようにさせるというのは、人の側のはからいではありません。
  それは如来のお誓いでありますから、法爾といいます。

  法爾というのは如来のお誓いでありますから、
  だからそのようにさせるということをそのまま法爾というのであります。

  また法爾である如来のお誓いの徳につつまれるために、
  およそ人のはからいはなくなりますから、これをそのようにさせるといいます。

  これがわかってはじめて、すべての人ははからわなくなるのであります。
  ですから義の捨てられていることが義である、と知らねばならないといわれます。

  言葉をかえていいますと、自然というのは、
  元来そのようにさせるという言葉であります。

  阿弥陀仏のお誓いはもともと、人がはからいを離れて南無阿弥陀仏と、
  仏をたのみたてまつるとき、これを迎えいれようとおはからいになったのですから、
  人がみずからのはからいを捨てて、善いとも悪いともはかわらないことを
  自然というのである、と聞いています。

  如来のお誓いのかなめは念仏の人をこの上ない仏に
  させようとお誓いになったことであります。
  この上ない仏といいますのは形もおありになりません。

  形もおありにならないから自然というのであります。
  形がおありになるように示すときには、
  如来のさとりをこの上ないものとはいいません。

  形もおありにならないわけを知らせようとして、
  とくに阿弥陀仏と申しあげる、と聞き習っています。

  阿弥陀仏というのは自然ということを知らせようとする手だてであります。

  この道理がわかれば、この自然のことを常にとやかくいう必要はありません。

  いつも自然ということをとやかくいうならば、
  義の捨てられていることが義であるということさえが、なおはからいとなるでしょう。
  これは如来の智慧が人の智慧のとどかないものであることを示すものです。

    正嘉二年十二月十四日

  愚禿親鸞[八十六歳]

**************************************************************

素晴らしい言葉、良い教えなのですが
小生には とても難しく思え、腹に落ちずにおり、
インターネットで検索をしておりましたら
下記の言葉に巡り合うことが出来ました。

  「落ち葉は、吹く風を うらまない」 

十数年前に ご他界なられた、紀伊国屋書店の元社長 田辺茂一氏が、
色紙に揮毫されていた言葉だそうです。
 
春、夏と緑に耀いていた木々の葉は、
その役割の終わりに近ずくと、紅や、黄色に彩を変え、
ある日、秋風に吹かれ 空に舞い、大地に帰るために、落葉となり
朽ちて土に隠れて行きます。

木の葉であったものが落葉となるきっかけ、
契機となったことは『風』

命の移り変わりを知るからでしょうか
全てを、あるがままに受け入れ、
静かに土くれに帰って行く。

「風が 吹いたから、梢から離され、落ち葉になったんだ。」と
恨むこともなく、ためらいもなく、未練すらも無く。

起きた出来事に対して、判断する時間の"長さの物指し"を変えると、
理解できる内容も、自分の心に残る感情も思い出も、全く別の様相を見せます。

今だけ、目先だけに焦点を合わせますと、
小枝から離れた木の葉は、死を表すことでしょう。

地面に落ち、踏まれて粉々になった姿だけを見れば、
命の無情を嘆くかもしれません。

しかしながら、微生物たちの働きにより、木の葉であったものは分解され、
黒い土に帰り、いずれ根から吸収され、
悠久の時を越え、幹や、白き花になることでしょう。

飛ぶ鳥の 風きり羽根になるかもしれません。

人である私たちも、日々の忙しさや、分刻みのスケジュールで生活する中、
知らず知らずのうちに、短いスパンで判断する考え方が、
染み付いているところもあるようです。

電車の乗り降りのとき、同乗者を肩で押し合いながら
我先に 降り急いだり。 階段を駆け下りたりと。

つながり行く長さを、物指しの尺度の一つとしたとき、
いったい どんな世界が待っているのか

心根の奥から染み出す、微かな楽しを覚えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祈 り

人の思いは 『一念三千』とも申します。
心の中で思い描いたことは どこへでも通じ、想念が現実に変わることを
伝える言葉でもあるようです。

神道の方から お聞きしたことですが、
神社、仏閣で手を合わせ『祈る』ことは、
初めに自らの決意をお伝えする"起点"を作ること。

終わりに結果を報告し、感謝を申し上げる"終点"を作ることと
教えて頂いたことがあります。

この点と、点を 繋ぐ"線"は 自分自信の『行動』であり、己の努力である。
よって、神頼みでだけでは「物事は成就しませんよ」という 教えのようで

中学生くらいになりますと、自己の判断力も、自意識も強くなります。
学校のクラスや部活動における『自分の世界』を大切に思うようになります。

自分自身も、付き合う周囲の友達たちも、まだ発展途上の心の段階にありますから
人としての正しさよりも 感情や、欲得、みえ、小さな世界の上下関係などを
大切に思い、周囲との不調和に悩むようです。

不調和な思いが積もり、心が固くなった状態で日々暮らしておりますと
思いがけない事件に発展したりするようです。

先日、夜帰宅しリビングに「ただいまぁ~」と入りますと
中学生になる娘が「お帰りなさい」とも言わずに、
帰宅したてのお父さんの顔を"ニラミ"つけております。

妻に生活態度の悪さから指摘を受け、むくれて、ふくれ面の最中。
注意されたことに「納得出来ない!」と 反旗を翻したようです。

「お母さんと争ったから、お父さんをニラミつけ、口も聞かないのか?」

「自分が腹が立っているから、無関係の人に平気で八つ当たりするのか?」

「注意されたことが面白くないから、反抗的な態度を表し、
 なぜ、指摘されたのか。 自分の至らなさを振り返って考えたのか?」

そう質問しました。

「お父さんと口もきかず、一生続けるつもりか? 
 では、一日、一時間そのような行為をする 理由はなんだ。賛同を得たいが為か?」とも

娘は、"もごもご"と何か話してはいますが 答えにはなっておりません。

「誰かと争い自分の中に不満があるのなら、誰彼見境なくケンカの種を撒き散らすことは
 人として 正しいことか。」

「お父さんと争う"覚悟"は出来ているのか。」

心が固くなったままですので、娘の口からは『ゴメンなさい』の一言も出ず
心の赤い火も 消えないようです。

驕った心からは 感謝の思いは払拭されてしまいます。
日ごろの感謝を忘れた思いは、傲慢さへと シフトして行くようです。

大事にしすぎて王様扱いしたたペットの犬が、
その家のNo.1だと勘違いし、ボス然として振舞うように。

母親やから受けている恩恵に対して
感謝の気持ちを味わうには、それを身体で味わうことが
体験することが 最良であると思います。

「今日から一週間、自分のことは自分でしなさい。
 ご飯を作ることも。洗濯をすることも。
 家にある材料は 自由に使って良いから。
 お母さんにしてもらっていることを、自分の手でやりなさい。」

これが父親として、娘に行為を求める『提示』です。

娘は、「嫌だ!」と申しましたが選択権はありません。
提供する側が"ストップ"してしまうのですから。

妻も うなずいています。
同じようなことを、上の娘が小学生の時に経験済みですので
了承してくれたと思います。
極端な話ですが、1週間 栄養の偏った物を食べても
栄養失調にはなりません。 学校に行けば給食もあります。

わが身で経験しなければ 分からないことは沢山あります。
わが身に置き換えることが出来なければ
真の意味で、『感謝』の思いが湧き上がることはないかもしれません。

人として生きて行く中で、
大切なことを 自分自身の経験の中から掴んでほしいと願う
祈りにもにた出来事でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

片入れは 片寄りすぎて 片手落ち

同じ職場などの 仲間同士である
Aさんと、Bさんの間に "イザコザ"が起き 
争いの渦中に 巻き込まれたりしますと

「Aさんが正しくて、Bさんが間違い」などと判断したり
良し悪しきを 必ず "ジャッジ" しがちです。

通常、正しいと思う Aさんに 片入れ(肩入れ)したくなるのが人情ですが
これが後々、頭痛の種に 発展することが有ります。

片入れした時点で、自らの思いの内に
『ヒイキ』が生まれていますので

2度目以降の"イザコザ"が発生押した場合
知らず知らずの内に
片寄った目線で見ることになりやすいようです。

シーソーゲームのように Aさんを上げれば Bさんが下がる。
憎らしさも 段々にエスカレートし、
いつの間にか Aさんと同じように Bさんを非難する立場に変わっちゃったりと。

中国の古くからの考え方に
「何事も中庸や中道が良い」という発想があります。

片入れをすると 
片寄ってしまい 公平な判断ができず 
己自身がこの"中庸"から逸脱してしまいます。

プロ野球のファンの中には 
「タイガースが大好きだから 巨人は嫌いだ!」と
公言してはばからぬ『アンチ巨人』方も多く 
厳しく攻撃し、非難する傾向があるようです。

海外に目を向けますと、サッカーファンの中に
「フーリガン」と呼ばれる熱狂的なファンがおりますが、

敵対するチームの ファン同士の争はとても甚だしく、
殺人や、殺生事件にまで発展し
人の命と スポーツへの情熱と
どちらが大切か、スッカリ逆転しているかのように思われます。

自分の子供可愛さのあまりに正しく判断することが甘くなり
゛親バカ゛と呼ばれる存在が、古くから後を絶ちませんが、
その影響で子供さんが立派に育ち、偉人となったケースはとっても まれのようです。

同じ兄弟、姉妹の中でも、末っ子になりますと、親の目が ついつい甘くなり
小さいのに、可哀想だから、という思いが片いれとなり 
兄弟ゲンカの原因さえも正しく見ることが出来ず 

「あなたはお兄ちゃんでしょ!」
「弟がかわいそうだと思わないの!」などと
公平な正しさよりも 自分の感情を無理やり 押付けてしまったり
片手落ちな 判決を下したりしちゃいます。

恨みを抱いたお兄ちゃんは、
親の見えない所で"しっかり"と 弟に一子報い
片入れされた弟は敵打ちされ、余計に涙を流すことも少なくありません。

かえって 弟チャンには辛いことになるかも知れませんネ!

感情に囚われすぎますと『正しい見方』が難しくなります。

片寄った判断をすることで"最良の結果"が得られず 
かえって 溝を深くする場合も多いようです。

かわいそうになったり 
思い入れが深くなったりと 片入れしたくなったら << 要注意 >>

『 片入れは 片寄りすぎて 片手落ち・・・』

               後悔 後に立たずですものネ!

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『 水の流れに 』

        『水の流れに』

                  月 真行

      水ありて 生命(イノチ)あり

      水なきところに 輝ける息吹もなし

      自らの力で  道を進み

      自ら集いて  調和の流れに入り行く

      自然のさまに 逆らわず

      大気となり、雨となり

      大海となり、固き氷の地ともなる

      濁りて 塵(チリ)、芥(アクタ)を流し

      強き雨となりて 大地の穢れを 払う

 

      大流に和して 清まり

      また、澄みたる水に帰る

      繰り返し 繰り返し 移りて

      毛根から  吸される

      命の一滴に至り

      久遠の流れを 廻らん
   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本能の所産

老後の心配。 先行きの 暮らしの不安。
民族同士の争い。 国家間の争い。

美しい女性に心を捕らわれること。
セクシーな女性に目が釘付けになること。

これ全て『本能』的 欲求からの所産であることを
ご存知でしたでしょうか。

昭和の時代に"悟られた"と言われる
『高橋信次』さんが書かれた本の中で知ることが出来ました。
1967年に他界されておられますので、30年以上の前の資料ですが
一部下記に抜粋いたします。

**************************************************
「反省のかなめ」 第5章 心の機能の捉え方 より

(前略)
 戦争と平和――。
人類の歴史はこの両極を何千年となく往復してきたようである。
殺し合いがなければ性が乱舞する。
平和は女の世界。男は戦士であることが誇りだった。

食と性の二大本能が、戦争と平和という両極の世界を創り出し、
欲望の渦をひろげてゆく。現代は地上の一部を残して表面は平和である。
平和が続くと、性本能が頭をもたげ、見るもの、聞くもの、これに結びつけてゆく。
芝居も、小説も、風俗も、より強烈な刺激を求めて、
あたかもそれが当然の成り行きのように動いてゆく。
性の狂宴は、天災か戦争でも起こらぬかぎりブレーキがきかなくなる。

ソ連では、性病が蔓延しだしたため、
性病者の性行為にきつい罰則を設けたといわれている。
日本やアメリカは、この点自由だから、方向転換がむずかしい。

食と性本能が動物の姿のような形で人間を動かしてゆくと、
いきつくところは動物以下の最低の地獄である。動物の本能には限界がある。
人間の本能には限界がない。
本能を欲望に転化させてゆく能力が与えられているからである。
だから本能の衝動が動物的になると手がつけられなくなってくる。

たとえば、食についていえば、動物たちは単純で、その場その場で満足している。
越冬する動物は越冬するに必要なものを確保する、
あるいはそれに耐え得るカロリーをとればそれ以上求めることをやめる。
しかも彼らは同じ種族を侵してまで自分が生きようとなしない。
昆虫のなかには、冬が近づき死が迫るとメスがオスを食べてしまうのもいるが、
これは種族保存の儀式として彼らに与えられた習性である。

ところが人間の食本能は無限に広がってゆく欲望が表裏一体をなしているから、
動物にもみられないような同族の殺傷をしてまでも、自己保存を遂げようとする。
  
戦争はその最たるものである。

現代は、経済競争だ。自社が生きるためには、他社のことなど構ってはいられない。
産業スパイを放ち、あらゆる智慧をしぼり、
才謀をめぐらして他社をだし抜き、利益を独占しようとする。
そうして同業の他社を、ことごとく傘下におさめることが
企業の最高の目標になってくる。
最低の費用で最大の利益をあげる。これが企業人の鉄則であり、
この鉄則を貫いた者が偉大な経営者といわれ多くの人びとの賞賛を博している。 
欲望、競争、発展、成功・・・・・。

信長は自己の欲望を満足させるために
天下統一という大儀名文を旗印に、他国に侵略する。
現代も、戦国時代と少しも変わらないようである。
変わったのは直接、人殺しをするか、しないかのちがいだけのようである。

こうみてくると、食と性の本能に人間がいかに支配され動いているかが分かる。
そうして、その本能に支配された人間のゆきつくところは、憎しみ、悲しみ 、
そして苦悩があるだけである。本能そのものは肉体生命の保存がその目的であるが、
欲望という怪物は己自身を破壊するばかりか、動物や自然をも同時に破壊してゆく。
人間はそれでも満足なのであろうか。

私共は、人間の欲望、執着についてよくよく考えてみなければならないと思う。
(中略)

本能的な欲望は、こうした理性、感情、知性、意志の円滑な作用から離れて、
特に、理性のコントロールから独立して、表面的な知と意が本能に乗っかって
動いてゆくというのが実情である。

戦争と平和はその最たるものであろう。
この場合の平和とは、真の平和ではなく、
欲望に翻弄された戦争の変形したすがたをいう。
したがっていつ戦争が始まるかわからない。

現代がそういう姿である。争いの元は、生活の維持である。
利益追求である。食べることである。食べることがさまざまに変化し、
発展して、その発展の途上に国と国あるいは人と人との利害が相反してくると、
血で血を洗う争いに飛躍してゆくのである。
戦争が終わり、物が出回り、生活が楽になってくると、
今度は情欲が頭を持ち上げ、
性の狂躁曲がくりひろげられてくる。

(後略)

***********************************************************

いかがでしょうか?

今、目の前に起こっていることでは無く
遠い将来への 不安や、憤りを覚える場合
上記のような『本能』からの表れであることも
原因の一つとして 考慮に入れることも無駄ではないと思います。

特に、暮らしに対する不安をあおるような
報道や、情報には充分な注意が必要であると思います。

若い女性が 夜、暗い道を一人で歩くことが出来るのは 日本だけ。
他の国では、欧米を含め危険が多く 考えられないこと。
と 聞いたことがあります。

現在でも紛争の続くイスラム圏内の女性たちが
頭から自らを布で蔽い隠すのも
自らを危険から守ることが理由の一つかもしれません。

最近の商品ポスターや週刊誌の表紙では
若い女性の水着が当たり前になっており、
街中でも露出度の多い服を身に付け、
極度のセクシーさを表している女性も多く見受けられます。

人 本来の、心の円満さを保つためにも
理性的なコントロールから離れないよう
日々、心がけたいと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

失敗から 学んだこと

先日、自らの至らなさが原因で
『大失敗』を起こしていることに 気付きました。

正確には、気付かずにいる 自分に対し、忠告をして下さった方の
ご親切によって大きな"アヤマチ"を 犯さずに済むことが出来ました。

その方の 人間的な大きさを 改めて 肝にめいじると伴に
ご迷惑をお掛けした方々の 真の姿に 驚きを隠せずにおります。

繊細に見える姿の中に、
人としての強さ、賢明さ、広さ
そして 暖かさを 肌身で教えていただいたような気がいたしました。

この場を借りまして 改めまして
ありがとう ございます。

今回の失敗から学んだことの一つに
人に教えたいと思うことの 難しさ、
その場合の自分自身の 考え方、あり方に
とても多くの注意を払わねばならないことに 気付かされました。

例えば、子供や 後輩に
こうすればきっと良くなる、きっと成長するから
これを学んでほしい、これを行ってほしいと考え
強く話したり、行動を促したりと 人に指導することは

いつの間にか『強制力』を有し、『支配』的な要素を
相手に与えてしまうことがあるのです。

相手のことを思い
良かれと考えて行ったことであっても

親だから、先輩だから と言った
"上から目線"が少しでもあると

言われたり、やらされたりする 当人は
ただ、ただ 苦痛だったり

「反抗したら 怒られるかもしれない」と
思わせてしまう時点で すでに
精神的"ストレス"を 与えてしまっているのです。

"イヤイヤ"行動する場合は
心がすでに後ろ向きですから、成果も上がるはずはなく

注意、忠告、説教の 悪循環に入ったら
もう おしまいですネ!

「なんで あいつは 何べん言っても だめなんだ!」と
今度は自分が 相手に対し
批判したり、陰口を たたくはめになります。

伝える側の 方法が 間違っていないか
自分自身の思いが"エゴ"的になっていないかも
わが身を 良く振り返り、注意せねばならないと思います。

「成長してほしい」と言う思いのはずが、
足かせや 苦手意識を増やす結果にならないように...

| | コメント (2) | トラックバック (0)

今日も 元旦ですね

本日2月7日は新月ですので、太陰太陽暦(旧暦)ですと
新年初の朔、元旦となります。

太陰太陽暦では、立春(2月4日)後の初めての新月の日を
元旦と定めているようです。

お隣の中国では 現在も太陰太陽暦(農暦)を
利用しているようですので、
きっと、今頃はお正月を祝っていることでしょう。

関東地方では、旧暦の大晦日にあたる昨日は
なんと"雪"に見舞われましたが、
新年にあたる今日のお天気は 一面の青空。
天の計らいにも思える 素敵な空でした。

「一年の計は元旦にあり」と申しますが、
2008年を向えてから早くも一ヶ月以上が経った
今日このあたりで、一呼吸いれて立ち止まり
再度、今年のあり方を見つめ直すことも
良い"キッカケ"となるかもしれません。

時間が加速していると言う学説もありますが、
過ぎ行く時の速さに流されぬように
シッカリと自分自身を 保ち続けることも
とても大切なことであると思います。

最初に梅の花が開くと言われている熱海の地では
先週末すでに 白や紅色の梅の花が
"ほっこり"と ほころび始めていました。

埼玉県 長瀞の宝登山(ほどさん)では、
黄色い『蝋梅(ロウバイ)』の花が、6~7分咲きだそうです。

暖かな春は もうすぐそこまでやってきているようですが、
まだまだ寒い日が続くようです。
お体には 充分に ご自愛下さい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

中村 中さん ご存じですか?

本日は立春です。
一年の計は元旦にありと申しますが、
神道の世界では「立春」が真の年初めと考える向きも有るそうです。
望まれるご自身の姿や、立場、あり方などを
思い返し、新しいスタートを切るには よい日かもしれません。

歌手の「中村 中(あたる)」さんを ご存じでしょうか?

若干22歳の シンガーで、昨年末の紅白歌合戦にも出場したそうです。
お恥ずかしい話ですが、先月末まで 存じ上げることなく
たまたま聞いていた"ラジオ番組"で 唄を聴いたその日に
たまたま訪れたお店で娘にCDを見せられ、
フッと CDを購入してしまいました。

彼(彼女?)は、
「性同一性障害」を抱えていて、戸籍上は男性ですが、
精神は女性で 外見も女性のようです。

ただし、ご本人は「男という自覚も、女としての実感もない」といった感覚だそうです。

性別に対する違和感を自覚したのは小学生の時、
好きな男の子が出来た時だったそうで、
その事が原因で、同級生からイジメを受けた経験を お持ちのようです。

くわしくは、「Wikipedia」に 掲載されてあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%B8%AD

You Tubeで
『友達の詩』という曲のVTRが 無料で見れますので是非 ご参照下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=fGWczvh1qY0&feature=related

  ( グーグル等でも 「中村中」で簡単に検索できます )

この『友達の詩』を聞いて大変 驚きましたのは
江戸時代に鍋島藩で生まれた『葉隠』という 考え方がありますが、
この中に出てくる恋愛に対する思想体系が同じように考えられていることです。

ご存じの方が多いと思いますが、
葉隠は「武士道とは、死ぬ事と見つけたり」で有名な
太平の世で暮らす武士達の生き方の模範となった書籍です。

『友達の詩』は、中村 中さんが 15歳のときに作られたそうですが、
その若さで、この詩の境地まで至られたと言う事は

よほどの精神的 修練があったのではないかと
胸が痛くなりました。

今まで「性同一性障害」である方々への
理解など 必要の無いものと考えておりましたが、
自分の大きな誤りに 気付かせて頂けた
貴重な 一曲でした。

是非一度 耳にして下さい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

余裕が 無くて

最近「余裕が なくて」と申される方に 度々遭遇し、
心に詰まることがあり 『余裕がない』ということを思考いたしました。

ある男性の方と世間話のレベルで会話中に
「温泉で ゆったり休養を取ったりしませんか?」という問いに

「そんなに人生に 余裕がなくてね」と返答されました。

温泉に行くことが "人生に"と申されるほど 大げさなことかな?
と 疑問に思い 心に残っておりました。

旅行に行かずとも、最近は身近に"スーパー銭湯"が有りますし
大げさな出費や 時間を使わなくても
温泉に入浴し、疲れを癒すことも 日常的に可能です。

この男性は"大変なギャンブル好き"で、
お昼の休憩時間は元より、いつも競馬新聞に目を通し
週末に行われるレースに対しての研鑽に、余念がない御仁でした。

時間や情熱ばかりでなく お金の面でも、
「競馬には、ベンツが買える位注ぎ込んでいるよ!」と言われてましたので
スーパー銭湯の入浴料が 通常 700円ですので、
5千回~ 一万回の入浴料に値するでしょうか、身体が ふやけるくらい入れますネ。

この方の場合は、ゆったりと身体を休めることよりも
ギャンブルに情熱を燃やすことが 大切なことであり、
ご自身の一番のテーマとされているようです。

ただ、身体の疲れを感じているからこそ
『余裕がなくて』という言葉が こぼれたものと思われます。

選択性、価値観の相違から出た 言葉のようでした。

また、ある女性の方は
「余裕のあるときは、優しく出来るのですが、
 余裕のないときは、なかなかそんな風に出来なくて」と 申されていました。

例えば、子供さんが
「お母さん、おなかすいたよぉ~」と、外から帰ってきた時に

通常ですと
「あそこに お菓子が入っているから、手を洗って食べなさい。」
と 申されるところ

優しい対応ですと
「あらそうなの、それじゃ チャーハンでも作ってあげようか?」
と サービス満点、お子さんの笑顔も満点。

しかしながら "余裕がない"ときですと
「うるさいわね! お母さん忙しいのだから、自分で勝手に食べなさい!」
と 叱るのでしょうか、お子さんはきっと 涙目ですネ。

また、通りすがりの おばあちゃんに道を聞かれたとしますと
「あっ、ここですね。 一緒に行きましょうか。」

と 申されるところが
「今、忙しいんです!」と キッと にらんだりしちゃうのでしょうか。

ここで、相手が変わった場合を想像してみましょう。

「お腹がすいたぁ~」と言ったのが お舅さんだったら、

道を聞いてきたのが お金持ちそうな恰幅の良い 社長さん風の方だったりしたら
同じように にらんだり、迷惑そうにしたりしますでしょうか?

がでしたらいかがでしょうが ナースコールが入ったときに
「いま忙しいので、用事がすんだら すぐ行きます」と言ったら
何も起こらないかも知れませんが、取り返しの付かないことに なるかもしれません。

実際の看護婦さんは、笑顔で早急に対応してくれますので
患者さんは 安心して入院生活をおくれますネ。

① 叱られる、注意される。

② 非常事態になる、危機につながる。

ような場合、意識しなくとも
『余裕がなくて』という理由で その出来事を処理しないでしょう。

つまり『余裕がない』という発言の裏には
相手に対する "甘え" や "言い訳"として 自分に言い聞かせる
正当性を立証させる要因が 含まれていると考えられます。

仕事などで『余裕がない』状態に言った場合、
パソコンですと すぐに "フリーズ"してしまいます。

電化製品なら"リセット"するなり、電源を入れなおせば済みますが
人間の場合、"リセット"は 不可能ですネ。

原因を考えると
 ① 処理時間が 絶対的に不足している

 ② 処理能力や知識が不足している

の 何れかに分類されるます。

①の場合ですと、時間の延長交渉をするか、応援の増員を計るか、
処理する量の軽減を計れば 対応できるでしょう。

②が問題の場合、処理能力のある方の応援を要請するのが
得策であると思います。

感情に囚われずに、冷静に打開策を求めることが出来れば
他の方に 悲しみや、嫌な思いをさせずに済みます。
 ( あとで、わだかまりや 懺悔の思いに変わることもあります )

また、心の中で 焦燥感や、
切ない思いで いっぱいになることなしに

楽しく、協力者への 感謝の思いを感じる方が
自分自身にとっても 良いことだと思いますが いかがでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

選手で あり続けること (2)

***** 前回の続きです *****

願いを 現実の形にするためには
『行動、実践』が 伴わない限り
ただの"夢想、願望"で終わってしまうことは
皆さん 良く ご存知のことと思います。

いかに優れた野球の知識を持っていても
身体の能力が備わっていなければ
バットで ボールを打つことは出来ませんし
それ以前に バッターボックスに立たなければ
ヒットを打つほか、結果を残すことも不可能です。

理知的に優れ、過去のデータを集積し
ピッチャーの配給を完璧に読め
次にどんな球種で、どのコースに来るか分かっていても
ジャストのタイミングで、球が向ってくる位置に
バットを振ることが出来なければ
空振りを余儀なくされます。

また、ピッチャーが新しい球種を習得し
過去のデータに無いボールを投げた場合も
対応が叶いません。

配球を読み、過去のデータからの分析も大事ですが
まず第一に 身体的能力を向上させるための
日々の練習の積重ねが、実践が、
やはり 大切になりますね。

実業団の野球チームに所属する ある選手に
アメリカの大リーグチームから 入団の誘いが有ったとします。

現状を考えると、現在のチームでは あと3年の
契約が残っているから 生活は困らないし

アメリカに行った場合、最初は マイナーリーグで
3Aにも上がれず 1Aかもしれない。
言葉も不自由で、生活習慣も違うし 不安なことばかり。

ここで大切なことは、自分の意思がどこにあるか
将来を含め、どのステージで "自分が活躍したい"という
『心の中 思い』では ないでしょうか?

日本のプロチームで 活躍したいならば
はなから 悩む必要もない事柄ですが、
『将来、大リーガーになりたい!』という 目標があるなら
シッカリと 気持ちの整理が必要になるでしょう。

大リーガーになれる 成功の確率は"0"に近い。
もう少し実力が上がれば、
日本のチームからも オファーがあるかもしれない。

今の契約が まだ3年残っているし
その間に 英語の勉強もして...

自分だけの条件を考えれば 不安になる 要素ばかり、
新しいことにチャレンジすることは 否定的に分析されるでしょう。

"心の中の恐れ" これを払拭する 唯一の条件は 

『自らの 情熱』 

"心の中の熱き 想い" かも知れません。

ご自分が変化するように 社会も日々進歩しています。
現状維持の努力では、向上した社会的欲求に 一致せず
3年後の オファーは 望めないでしょう。

現状の自分の能力を認めた上で
声を掛けてくれた存在は  何を評価しているのか

いい加減な方か、それとも信頼を置ける存在か?

ものを見る基準を 自分自身の内から離し
社会の目、外からの目で 見つめると 何に『信』を置くべきか
改めて気付くこともありでしょう。

情熱に支えられた"勇気"と
地道な努力を続ける"行動"が
強さを 創ってくれるかもしれません。

決心(想い) ⇒ 努力(行動) ⇒ 結果(思い出)

たとえ、大リーグの バッターボックスに立てなくても
"志し"と 努力の "軌跡"は 自分自身を成長させ
一段上のステージへ 自らを押し上げてくれるでしょう。

「トライ & エラー」

人は誰でもが 生きている間は
選手であり この人生の 主役ですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

選手で あり続けること (1)

成功に至った方々の歩みを伺うと、
ある共通点が有りました。

運動や、手習い事のような
技術的向上の経緯とも良く似ていますが、

時間を横軸に、進歩の度合いを縦軸にしたグラフで表した場合
原点を始点とする"直線的"として現されることはなく

ゆっくりとベースラインを 少しずつ、少しずつ上がり
ある臨界点を越えた時に ある日突然、
"急激的な放物線"を描くように グン!と 向上するようです。

これを現状を見つめる自分の立場に置き換えて見ますと
面白い点に気が付くことが出来ました。

    ① 現在の自分の姿は、一年前に想定していた通りか?

    ② 上記が NOの場合、去年の自分と 現在と どちらが幸せ?

    ③ 現在が幸せであるならば、この姿を思い浮かべなかった理由は?

過去を背にして未来を見つめた場合、
現時点の延長上、直線的変化の末に見える
将来像を想定することでしょう。

しかしながら
   成功の軌跡は 臨界点を越えた後に
   上昇する放物線を描くのです。

計画的に、直線的に進歩することが出来るならば
予想しやすく、先の見通しも立ち 安心です。

理知的な方程式で 割り切れる道を送れれば、
危険も回避できましょうし
病気や、事故にあうこともないのかもしれません。

ただ 多くの事例が示すことは、
地道な、地を這うような僅かばかりの変化の後の
ジェットコースターに 乗ったような
『ステージ』が変わってしまうような 進歩です。

予想される出来事ばかりに 重きを置くと
かえって変化を恐れたり、不思議がってしまったりと
   己を縛る"鎖"にしてしまうこともあるようです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

今日は"大寒" 寒い日には酒風呂?

1月21日は、一年の上で最も寒い
"大寒"と暦にしるされています。

先日TV番組を見ておりましたら、
寒い日には お風呂にお酒を入れると とっても暖まると
参議院になった 丸山弁護士が話されていました。

以前から、お酒のお風呂は
『飲むよりも 酔う』と聞いたことがあり
一度は試したいなと思っておりました。

前出のTV番組では "180cc"のお酒を
湯船に入れば良いと申されてましたので、
うちの奥さんと「試してみようか?」と
話していた次第です。

今日は早めに仕事を切り上げて帰宅したため
うちの奥さんが 気を配ってくれ
料理用に使っている 旧二級酒のお酒 "180cc"を
浴槽の中に入れてくれました。

通常 約5分間が相場の「カラスの行水系」
入浴を 誇っておりますが、
なんと 倍の 10分くらい お湯につかり
やはり 身体の芯から ホカホカする感じがいたしました。

浴槽の中に わずか"180cc"の アルコールを 入れただけですので
酔いには至らず 少しばかり 残念でしたが
本当に温まった 幸せな一時でした。

宜しければ お試しアレ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

対面五百生

魂の響きを伝える作家 神渡良平氏が
詩人 坂下真民氏から贈られた色紙に書かれていたのが
『対面五百生』という言葉であったそうです。

「聞法因縁五百生 同席対面五百生」という
仏語からの 引用でした。

ここであなたに逢えたのは
五百回もの 命の繰り返し

初めて 出会う貴方でも
縁(えにし)の末の 巡り合い

「一期一会 」
その影には、何度も 何度も縁(エニシ)を作り 
命をつなげて来た、魂を 語る
とても深い意味がある

今日、初めて出会った方
ただ 隣に座った方が
すでに 五百回もの 生き死にの中で
共に 時を作りし 縁の 有る方

その縁に 感謝いたします。

そう 色紙の文字が
静かに 物語るかのようです。

見つめ返すと
とても 控えめで
とても 重たく響く

思わず 周りを見渡したくなるような
深い 一語に 感じます。

今日、初めて出会った方が
五百回ものエニシなら 隣に居る
妻や、子供たちとの縁は
どれだけ 深いものとなるのでしょうか

嫌に思えるような
後悔に思えるような出会いであっても
大切な 何かを含む 出会い なのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誓いの言葉は「下帯は いつも綺麗にせよ」

戦国時代に当代一の「傾奇物(かぶきもの)」と 称された
前田慶次朗利益を描いた『一夢庵風流記』(隆慶一朗 著)という小説があります。
『花の慶次』というタイトルで、少年週刊誌のマンガとして
描かれたこともありますので 御存知の方も 多いでしょう。

この慶次郎が 配下の付き人となる者の条件として伝えた言葉が

「下帯は いつも綺麗にせよ」の 一言として書かれてありました。

戦国時代の『いくさ人』ですと 明日の命も保障が無かったようです。
いざ争いとなり、命を落とした末は "戦場あらし"によって
刀や槍に止まらず、身にまとっていた 甲冑や 衣類も剥ぎ取られ
その亡骸の多くが"下帯" つまり
"ふんどし"一つにされてしまうのが 世の常であったようです。

「"ふんどし"一つの されたときに 汚い下着姿では 身の恥になるよ」

「常に いつ命を失っても恥じない 心得を 常日頃から心得よ」

という 思いを含んでいる 意味深い一言のようです。

経営指導の神様と呼ばれる船井幸雄先生は若かりしころ、
社員に向かって、机の上の整理整頓に始まり
後片付けを徹底的に 義務付け、習慣づけが出来るまで
何度も、何度も指導したそうです。

「世の中にはいろんなことが起きるから、
 思わぬ事故やケガで いつ命を落とすかもしれない。
 その時に この机や部屋の状態が 君の最後の姿になる。
 それを前提条件として、肝に据えて、
 今日のうちに完了させる行動しなさい。」 と申されていたそうです。

机や、事務所の整理整頓については
同様に自分自身でも 気をつけているのですが、
もし仮に 万が一の事があり、資料を出しっぱなしにした
雑然とした、汚れた状態を人様に見られたとき

「いつもは綺麗にしてているように見えたが
 本当は 雑然として 散らかっているじゃないか。
 体裁や 見た目を繕っていただけの 人間だったか。」
これが 最終的な評価にされてしまうことでしょう

"もしこれが"という思いを忘れず
仕事の終わり仕舞いだけはキチンと片付けてから
その日の仕事を終わりにすることを 習慣付けています。

また、同時に資料のファイリング等の整理も行いますと
当然のことながら、翌日の業務効率が向上します。

思いの置き方を 変化させると

『一日一生』という思いに通じる

甘えに流されない、ルーズにならない
そして 後悔の無い
大切な 日常の 心構えで 暮らせるように思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

愚痴

取り返しの付かないことを
グチグチと 話す方がおります。

ギリギリ誰かに聞こえる音量で
"ぶちぶち"言うと『独り言』になります。

シッカリと誰かに 聞いてもらうことを前提に
不満を語ると 『愚痴』になります。

上手く行っている時の 野放図な発言ですと
『自慢』になりますが、

不運を感じているときの自己弁護や
特定な存在に対して非難する場合
未練たらしいだけの『愚痴』になりますネ。

分かっちゃいるけど "つい グチちゃうんだよね"と
悪気もないのに 毒を撒き散らす方もおいでですネ。

結果に対して、不満があるため『愚痴』になります
よって、前提条件として 結果を求めている
自分の"欲求"が 基礎にあることに成ります。

この"欲"が 自分の内面ではなく
外的要因による"欲求"を 基にしていますと
相手の方を "ナジル"場合が多いようです。

何度もプレーしている ゴルフのホームコースで
ラウンドするときに、自分の内面的欲求に標準を当てている場合、
「今日は前回より良いスコアーで回ろう。」

「今年の目標平均スコアーの94を下回るようにプレーしよう。」

と事前に目標を掲げてプレーすることが多いと思います。

今回は、目標値を大きく上回る 100でホールアウトしたとしますと
何度もプレーしている コースですから、自分のプレー内容を振り返り
「今日は パットが悪かった。」
「ショットも 距離感のブレが大きかった」と、
自分自身の状況を分析して反省し、
次のラウンドの為に不満足だったところを、大いに練習することと思います。

しかしながら、同伴競技者と賭けをし
他のプレーとの勝負を主眼にした場合は

「あそこで あいつがバーディーを 取ったから負けた。」

「これを入れたら パーだぞなんて 言うから
 力んで パットを外しちゃった。」

「ドライバーの飛距離が 20ヤード違うから、
 クラブが悪いから 今日は負けたんだ。」

などと、賭けで負けた腹いせに
やっぱり『愚痴』が出ちゃいました。

誰かとの"比較"で 良し悪しを決める場合は
得てして 自分自身の内容よりも
相手と自分の"差"に 目を向けることとなり
結果にばかり注目するようになるでしょう。

自己の向上と 反対の世界に身を置いているようです。

グルメな食事が出来ないから、
海外旅行に行けないから、
誰々は これを持っているのに自分にはないから
彼は部長で 僕 係長...等々

自分の"外側"に向けた 欲求、
他者との"比較"で成り立つ 欲望は
対象の相手が変われば、レベルも変わり
いつも競うことを続けなくてはいけません。

『愚痴』が出ましたら 要注意!
大きな怪獣と 相撲を取り始めているかもしれませんヨ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

"厄年" は "役"年

以前 引用させていただいた
深田剛史さんの書かれた『数魂』と言う本の中に、

「厄年とは、世の中のお役を 頂きに上がる年回りで、
 お役に立たないから"厄"が起こるのだ」と ありました。

それだけ 個人としての実力も付き、
成長させて頂いた 社会のため、人様のために
働かせて頂、『お役』をいただきく年回りであるのが
"厄年"と呼ばれる 年代であるようです。

現在の働きが"天の理"に適っていない場合に
それを気付かせていただく反作用として
"厄"と言われるような、嫌な頃が起きるそうです。

個人的なことで恐縮すが、昨日 44歳の誕生日を過ぎ、
一般的に"後厄"と言われる年回りを 離れました。

自分には"厄年"など無関係だ、
意味のないことと思っておりましたので、
神社やお寺で お払いもしていませんでした。

不思議なことの解る方から 一昨日にメセージを頂戴し、
「厄が もう少しで抜けるよ」 と 教えて頂きました。

以前から信頼できる方の 言葉でしたので、
なんとも 吃驚いたしました。

詳細を聞きますと、
今後のステージを方向付けるための
長い試験期間のような解釈が 正しいようでした。

考え方や、想い方を試させるような
困難が事件が 色々と発生したことも事実ですし
日常的な苦悩の中に 身を焼かれた時期でもありました。

いただいたメッセージのように
新しい『お役』を頂ける立場の変化が起こるのでしたら
とても楽しく ワクワクすることですが、

"ミロクの世"に 至るための
大変化への始まりの年と噂される 2008年の現在

未来に続く、人として価値のある
仕事をさせて頂く 『お役』を頂戴出来れば
これほど 嬉しいことはないかもしれません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

原因は ⇒ 感謝が足りない

月刊 ザ・フナイ 12月号に 主幹であられる 
船井幸雄先生と 佳川奈未さんの 対談が掲載されておりました。
ちょっと長くなりますが、その中から 一部抜粋させていただきます。

( 前略 )
佳川さん 「今生かされていること」
     「自分の想い次第で未来を自由に選択し、創造していけるということ」
     「この世界の豊かさを感受できる心が与えられていること」
      --- それだけで本当は感謝なんです。( 後略 )

船井先生 そうですね。
     どうしようもなくなったときには、ただ感謝するよりほか、しょうがない・・・。
     とことんいじめられたとき、大変な状況に陥ったときこそ感謝する。
     感謝しないと、辛くて死にたくなる。
     感謝をすることで、生きる言動力が沸いてくる。
     そうすることで問題が問題でなくなり、全てを前向きにとらえられるようになる。
     こんな状況は何回か経験したのです。
     「プラス発想」も、こうした辛い経験を何とか乗り越えようとする中で
     体得したものでした。物事とを良いほうにプラス発想しないと、
     もうすべて投げ出したくなる、死にたくなる状況ですから、
     弱気にならず強気で生き抜くためには、全てを無条件で感謝するよりほか、
     しようがなかったのです。 ( 後略 )

上記を読む機会に恵まれたときは、
ちょうど 個人的困難の真っ最中で、四面楚歌の状態に身を置き、
逃げ出せるものなら逃げ出したいと、毎日 思い続けておりました。
度々、想定される近未来像を脳裏に描き、脇の下から冷や汗を流していました。

偉大な 船井先生にも、辛くて死にたくなったり、
投げ出したくなった時もあったのかと、心底 驚くと共に
「今の自分のピンチは、まだ死にたくなるまでには至ってないぞ」と
心を見つめ直す 良いチャンスを頂きました。

船井先生が 良くお話下さる
「起こることは全て "必要、必然、ベスト!"」という
重みのある言葉も、困難を克服してきた
実体験からの産物と 腑に落ちた次第です。

自分自身を振り返り、
なぜこの状態に至ったかを
もう一度考え直して見ると、

やはり "感謝の思いが足りなかった"ことに 気付かされました。

自分の身体が元気なことは 当たり前。
家族も元気なのが 当たり前。
朝ごはんや 晩ご飯を 奥さんが作ってくれるのが 当たり前。
子供は、きちんと学校に行くのが 当たり前。
仕事があるの 当たり前。

・・・当たり前。・・・当たり前。

この、『当たり前』と 思っていることの全てに

『"感謝"を しなければいけなかった』と

改めて 思い当たりました。

気付かぬほどに 感謝を忘れた 
驕った心の 産物を 受け取っていたようです。

目をつぶり心の中で、
遅ればせながら 感謝の思いを伝え始めた時から

状況に変わりはありませんが、心の中で
暗く、重く 巣を作っていた 思いの渦が少し ほどけて
気にならなくなり始めたようでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

正しさの違い

地球が何億年の間、同じように太陽の周りを公転しながら
一日の長さを等しく刻み、
太陽もまた 変わることの無い足並みで
銀河の中心を回転している 宇宙の営みのように
真に 正しい法則は 変化することがないのでしょうが

その人の立場や有り方の違い、個人の価値観の違いにより
『正しい』と判断することに 違いがあることが多いようです。

小学生のころ、算数の授業で悩んだ問題に
"つるかめ算"がありました。
「美子さんが 時速4キロの速さで、隣町へ向かいました。
 美子さんがスタートしてから 20分後に
 太郎さんが 自転車で 時速16キロの速さで隣町へ向かうと
    何分後に太郎さんは 美子さんに 追いつくでしょうか?」

こんな問題に ご記憶ございませんか?

高校や中学校で 方程式を学んだ 皆さんでしたら
現時点では 難なく答えられることと思いますが
小学校の 3年生や 4年生の頃では とても難しく
頭を"カキカキ"して 先生や 親にしかられたことを 思い出します。

とっても優秀な小学3年生の A君がおりました。
先生にも、親にも認められ、自信もあり
将来は T大を目指し、お受験に励んでいる
ご近所でも評判の お利口な お坊ちゃんです。

前出の"つるかめ算"など x,yの方程式は知らなくても
すらすら解いちゃいます。

また、A君とご近所で同じクラスのB君がおりました。
B君のお兄ちゃんは、高校生ですが
近所でも風采の上がらない 数学の嫌いな お兄ちゃんです。

この"つるかめ算の問題が分からない B君は
宿題を お兄ちゃんに教えてもらったところ、
XとYの方程式を使ったものの
答えを少しだけ ミスっておりました。

ここで、B君の ノートを見た A君は
なんと答えるでしょうか?

A君が 素直で 人間力を備えた人柄ですと
「へぇ~ お兄ちゃんに 教えてもらったの?
 高校生になると Xとか Yとかを 使って 問題を解くんだね」と、
未知のことに 興味をいだくかもしれません。

また、自分が偉い! 自分が 一番正しいと思っちゃっておりますと
「問題が解けなくて お兄ちゃんに聞いたの
 デモさ、バカだな。 そんなアルファベット並べたって
 出来るわけ無いじゃん。 あははぁ...」と、
笑いものにすることもあるでしょう。

まだ知りえない知識の 枠の中で
『正しい』と 判断できることも、一段上の条件で見つめた場合
さらに『正しい』ことがあると 気付くこともあるでしょう。

10件の情報から 1つを選ぶより
1000件の情報から 1つを選ぶ方が
より正しい選択を出来る可能性が高くなります。

TV番組の中で、UFOの存在を全否定している
某有名大学の"O教授"がいらっしゃいますが、
専門の "プラズマ"の研究では世界的な権威でいらっしゃるそうです。
お亡くなりになった 「神坂先生」や 先進的な書籍によりますと
UFOは なんと"プラズマ"を使っており
アメリカ軍には試作機を運行中しているとのレポートもあるそうです。
チョットした 皮肉のように感じませんでしょうか。

今現在の自分自身は、全て正しい判断をしているでしょうか
現時点で持っているている知識が 100%正しいとは言えず
不足している部分も あるかもしれません。

先入観や固定観念、我欲に縛られない
正しく見つめる目を持ち
正しく判断できる 基準と
知らないことを受け入れられる
人間的な 素直さを 忘れずに持つことが
真の『正しさ』に続く最短の道であるように思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

怒ること ≒ あまえ

心からの怒りは

「抑えきれない 真実の叫びだ!!」と

思っていたのですが、そうでもないことに
最近、気がつきました。

たとえば、込み合った電車の中で 足を踏まれたとします
足の痛みと共に 怒りがこみ上げてくると思いますが
その踏んだ相手が、とっても 強面の 暴力団風の方でしたら どうします?

怒りよりも 関わりたくないという気持ちが勝り
顔をそむけて、知らん顔をしたりしませんか?

次の駅で 降りてくれたら
「あぁ~ 良かった。」なんて 思うかも知れません。

風采の上がらない おじさんが 加害者でしたら
「痛いじゃないですか!」と 一言申すところでしょうが

怖ぁ~い おにいさんですと
「関わりにならなくて ホットした」に 成りませんでしょうか。

頭の上がらない先輩に 怒られた場合も
その時は 「スイマセン」と 謝り
姿の見えなくなった時に
「畜生! この野郎!」などと
後から怒りがこみ上げることもあります。

これって、時間差ですね。

感情を荒立たせて『怒る』場合
ある共通性が 見られたのですが、お解りになりましたでしょうか?

『お怒り』の 感情を表して良いと
ご自分が判断した時のみ、『怒る』という 行動を起こすのです。

つまりは、
「この相手なら 怒っても大丈夫だ」と
判断できる場合のみに『怒』っていたと考えられます。

小さな子供の頃ですと、親に怒られたときは
否応無しに「ゴメンなさい」と 謝りますが、
体力的 又は、精神的に 子供が親より勝ったと判断した時
「うるせーなぁー!!」と 反抗するでしょうし
完全に 立場が逆転しますと
「お父さん もうチョット シッカリしてくれる!」と
お説教されることも あるかもしれません。

この 安心できる相手にのみ
"『怒り』と言う感情を 起こしているんだ!"

これを 覚えておきますと、自分の感情に
ブレーキを掛けることも 容易になります。

怖い相手には 知らず 知らずのうちに
『怒り』の感情を 抑えているのですから。

怒ることの出来る、怒っても大丈夫な方への
"あまえ"の一つであると 気付かれることと思います。

心を荒立てたまま アクションを起こすと
後で後悔することをしでかしたり
気まずさが残ったりと

あまり良いことは ありませんものネ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

怒って、怒鳴って、すねてみても...

お正月の 日中のことですが、
高校生の長女と、小3の 四女が
見たいTVのチャンネルをめぐり 争っておりました。

現役陸上部の姉が 「箱根駅伝」を見ている最中に
チョイトの隙を突き、
妹が お笑い番組に変えてしまい
TVの前に "ドッカリ"と 座り込み
リモコンも しっかりと 握り、まさに 不動の構え

お姉ちゃんの罵声を背中で受けても
「だって、走ってるだけで、ツマンナイジャン!!」と 反撃です。

いつもと同じ 「オッパッピィ~」 「そんなの関係ネェ!」
お正月恒例の お笑い番組を 見て笑っております。

「せっかく見ていたのに! ずるいじゃない!」と
怒っても、怒鳴っても 知らん顔...

男の兄弟ですと ここで鉄拳が入り
『お兄ちゃんの 勝利!』と なるのでしょうが

そこは 女ばかりの姉妹「もう 知らない。」と 捨てセリフをはいて
姉は 自分の部屋へ 引篭もろうと向かいますが
悔しくて、悔しくて "堪らない"のでしょう
リビングに引き返し、再度 訴えています。
何やら、怒りの声が 涙声に変わってきています。

そこで 長女に話したことが 以下の言葉でした。

「お~い。 
 怒って、怒鳴って、わめいたら 言う事を聞いてくれたかい。
 いつも そうだけど、言い争って 怒ってみて 願いは 叶ったかい?」

「いつだって 言うこと聞かないもの。のんなこと ないよ。」 (やっぱり 涙目です)

「無駄に 怒って、感情的になって騒いでみて、なにか 良いことあったかい。」

「だって、箱根駅伝 今日しかやってないから」 (気持ちは よぉ~く解るよ)

叱られていると思った 長女の言い分は "もっとも"なことと 共感できます
見ていたTV番組が こそドロみたいに さらわれたのですから。

「それじゃ、どうしてもっと 成果の上がる方法を取らないの?

怒っても、怒鳴っても駄目って知っているなら

無駄なことをしても仕方ないでしょう。

お前の方が お姉ちゃんだろう。知恵を使って相手がゆずってくれるように

頼んでみたら?」

怒りを抑えた お姉ちゃんが  父の意見を聞き
"チャンネル泥棒の妹"のもとへ行き
静かな声で 譲ってくれるように 話しています。

妹にしてみれば 父と姉の 会話も耳に入っていますから
『しょうがないな』というような 気があったと思いますが

お姉ちゃんは"無事" 箱根駅伝の成り行きに
集中することができた次第です。

湧き上がる感情に成り行きを預けてしまうと
往々にして 望むべき結果に至らないことが多いでしょう。

一時的な感情抑え、経験を生かし、
知恵を働かせて 相手の立場を思い
対処することが 良い 幸せの 近道かも知れません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

言葉使い、話し方。 目つき、顔つき、態度

深田剛史さんの書かれた
『数魂』と言う本の あとがきに

「物言い口調に言葉い  顔つき 目つき 態度」 

これを気をつければ、個人的争いの
七割は減るはずと書かれて有りました。

素晴らしい 重みのある 言葉であると思い
ノートに 書き留めておりました。

中学生になる娘が
同じクラスの子 数人に
罵詈雑言を 毎日浴びせられたり
ビニール傘を 折られたりと 迫害を受けていたようですが

ある日、上履きに"画鋲"を 入れられたと聞かされた時に
この言葉を用いて
娘に話をしたことが ありました。

イジメル側の生徒の態度が
陰湿な行為で、人が身体的に傷ついたり
血を流すことを求めるようになった場合
人として通常の意識では無いと判断し
担任の先生に、該当者による
話し合いを 要望しましたが
その先生の努力で
迫害行為が終息し
事なきを得ることができました。

一方的な被害者であると判断している 子供に対し
上記の言葉の表現を変え
自分自身も原因があることを 伝えました。

同じ波動は 引き合う。
原因があるから 結果が生まれる。

様々な法則を用い

"なぜ自分自身が 辛い思いをしなければいけなかったか"

この 原因を 理解してほしかった為です。

『言葉使い、話し方。 目つき、顔つき、態度』

知らず知らずの内に、誰しもが 言葉に成らない表現方法で
自分の意思を 伝えようとしています。

「うん。いいよ。」と 言いながら 嫌な表情をしたり

「えェ~ そうなの」と 完全に断らずに
声のトーンで 不賛成な思いを伝えたり

自己の感情を 言葉にすること無く
その言葉と裏腹な思いを

態度や しぐさ、
声色などの方法で表現し
自分の思いが 相手に"通ずる"ものと
思いこんでしまうことが 往々にしてあるからです。
 
気の強いところのあり
言葉数の少ない 子でしたから

家族間、姉妹間の 日ごろの様子から想像し
嫌な 目つきで睨んだり
ぶっきら棒な 言葉を 使うことも
多かったのではないかと 判断されました。

『言葉使い、話し方。 目つき、顔つき、態度』

日ごろの 自分自身の態度を 振り返ってごらん

悪い 言葉使いはしなかったか?
怒声や、脅したりしなかったか?
睨んだり しなかったか?

相手に対し 直接的なの原因がなくても
廻りめぐった 自分自身の 人と争う態度が
影響していると 考えたことは 無いかと....

自分自身が 呼び寄せる
同じ波動を 出していなかったか。

このような出来事を踏まえ
欠点を直す 貴重なチャンスとして
生かして欲しかったのです。

担任の先生に、該当者による 話し合いを要望したのは
もう一つの 理由が有りました。

私も小学校の高学年生のころ クラスの男子全員による
イジメを経験していたからです。

ある日突然に 誰も口を利いてくれなくなり
いわゆる"村八分"の 状態におかれ
肉体的にも 被害を受けたことが有りました。

スポーツ万能な スター的存在の子と
学業が優秀な 教育者の息子が 中心となり
一ヶ月単位で 順番に一人ずつ イジメの対称にする
快楽的行為でした。

その時分の 自分自身を振り返って見ると
小柄で有ったにもかかわらず
鼻っ柱の強い 生意気で 独りよがりな所があり
他者と ケンカするのが 当たり前という状態でしたので
まさに 自分自身の人間性の低さが
主原因であったと 考えておりました。

30年以上経った今 もう一つの結論があります。

虐めていた側の リーダー的存在の 末の姿です。

スポーツ万能な スター的存在の子は、
地方都市の中で有名な 大きな会社の重役の子息でしたが
高校生の時分に 家業が倒産し
家族全員 "夜逃げ"を してしまいました。

学業が優秀な 教育者の息子は、
商店街の中心に 大きなお店兼自宅に住んでいましたが
跡形もなく、どこに引っ越していったのが
友人は誰れも知らないそうです

もう一人 実行犯的存在の子がいましたが
家業の薬局がつぶれ
35歳を過ぎる前に 他界してしまいました。

イジメの行為とは 直接の
因果関係は無いと思いますが、

いずれもが 幸せな姿とは
かけ離れてしまっているように 思えないでしょうか?

因果応報、作用 ⇒ 反作用
自分が出した波動は 自分に帰ってくると 言いますが

自らの体験から
とても納得の行くことと 思っております。

『言葉使い、話し方。 目つき、顔つき、態度』

言葉に成らない メッセージは
決して伝わることの無い
思い過ごしの 気休めにしかなりません。

災いを呼ぶ 仕草より
一言の 言葉を
勇気を持って
話しましょう。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

始めまして

皆さん こんにちは。

"月 真行"と 申します。

12月初旬に 3冊目の冊子となりました

『月 真行の おかしな話』を 発行させて頂きましたが、

お蔭様で ご好評を頂き 誠にありがとうございます。

『もっと 読みたい』  『身近なテーマは無いの』

と いうようなご意見も 頂いたため

ブログを用いまして 未掲載のものを

ご覧けるよう 掲載いたそうと考えております。

考え方、思い方を 変えることで 

今まで 理解できなかったことが 

解るようになり、心が 楽になります。

ものの見方を 増やすことで

災いが 幸に 変わることもあります。

心の在り方を見つめ直す 

一助ともなれば

この上ない 幸です。

       

    ありがとう ございます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

心と体